2009年05月13日

音楽コラム 2009-05-12 注意深く聴くこと その2

 
 モーツァルトを聴くと、それだけでIQが上がるという研究がある。「音楽を聴いただけでIQが上がるわけがない」と思われる方もいらっしゃるだろうが、実際には音楽を聴くということは脳を総動員しなければならない行為である。念のために断っておくと、ここで言う「音楽を聴く」とは音楽が流れている空間にいるということではなく、聴く人の脳内で音楽が再構成されて認識されているという状態をさす。
 別にモーツァルトでなくともよい、と脳科学者の茂木健一郎さんは仰っている。要するに、単なる空気の振動の中から“音楽”を認識するという行為が重要なのである。
 モーツァルトが例に出されたのは、誰にでも分かりやすいからだろう。ところが、このモーツァルトでさえ、本当に聴こうとすると大変な集中力が必要となる。
 ピアノを習って少し上手になると弾く機会の多いK.545ハ長調ソナタ第1楽章を例にとろう。ドーーミーソー/シードレドー/〜という曲である。
 もっとも単純な聴き方はメロディーを順に追っていくもので、おそらく誰にでもできるモーツァルトを楽しむ聴き方だろう。
 少し注意深く聴くと、この曲の大まかな時系列構造が分かってくる。ハ長調の第1主題、ト長調に転調したところで第2主題、そしてコデッタ(小結尾)で一度曲を閉じたように感じるところが提示部の終わり。ト短調で展開部が始まり、コーダの音形が展開されていく。そして第1主題が戻ってきたら再現部である。
 さらに注意深く聴くと、細かい時系列構造が分かってくるかもしれない。「かも知れない」と言ったのは、ここから先は独学では聴こえない人の存在が予想されるからである。
 最初の4小節(楽譜を見たことがない人には8小節に聴こえるかもしれないが、それは誤りではない)で第1主題が示され、次の4小節ではスケールによるゼクエンツが経過句として現れる。属調への転調後に現れる第2主題は、第1主題と同様に「繰り返し構造」である。そして、アルペジオによるゼクエンツがやってくる。これは、漢詩で言うところの「対句表現」であり、漢詩や欧文詩に使われる「韻を踏む」という印象もある。その後に現れる、コデッタを導く4小節の簡潔な経過句は、前半が第1主題、後半が第2主題でできており、先ほどの対句表現の「縮小形」とも言える見事な処理となっている。そしてコデッタ。
 作曲家の耳で聴くと、さらに詳しいことが分かってくる。
 第1主題は3音からなる部分動機aと、続く4音からなる部分動機bから構成されている。主題の確保となる3、4小節目の終わりにはトリルが付加される。楽譜をお持ちの方はぜひとも楽譜と見比べながらお読み頂きたいが、第1主題の冒頭はC、2小節目の第1拍はH、3小節目第1拍はA、第3拍はG、4小節目第2拍はF、第3拍はEとなっている。つまり、ハ長調の音階が徐々に短縮(加速)されながら順次進行で下降している(作曲家は、こういう単純さにこそショックを受ける)。続くスケール・ゼクエンツは3、4小節目のA-G-F-Bが各小節の冒頭にやってきて、この経過句が第1主題と有機的なつながりがあることを示す。11小節目に現れる「シ・ソミド/シ・ソミド」は、第2主題を誘導しているが、それは第1主題の部分動機a「ドミソ」の逆行形の縮小形であり、実際に第2主題は「移動ド」で歌えば「ソミドー」という第1主題部分動機aの完全な逆行・1/2縮小形で始まる。第2主題第3番目のCから始まるリズムは、第1主題部分動機bと同一であり、第2主題が第1主題の部分動機を操作することによって生まれたDNAを共有する主題であることが明らかとなる。そして、対句表現となるアルペジオによる華麗なゼクエンツが続き、それは簡潔だが見事な経過句(22-25小節)によってコデッタに導かれる。そして最大の驚きがコデッタで待っている。コデッタの2拍目から、音価を半分にした第1主題をト長調で歌いながら弾いてみていただきたい。このコデッタが第1主題のヴァリエーション(部分動機操作とは異なる)であり、第1主題そのものであることがお分かりいただけることだろう。つまり、このコデッタ主題によって、第1楽章が全て第1主題のDNAだけで構成されていることを知ることになる。「展開部は第1主題ではなく、コーダによっている・・・」という解説がしばしば見受けられるが(おまけに、そういう奇抜な発想こそがモーツァルトの天才たる所以であるという主張までが付加されている)、コデッタ主題が第1主題であるから、展開部で用いられているというのが正しいことになる。
 音楽を聴くということが、実は単純なことではないことがお分かりいただけたことだろう。音楽書を読んでいくら知識を増やそうが、注意深さと洞察力、気づきがなければ音楽の力が増すとは思えない。音楽を聴くとIQが上がるというのは、聴き方しだいではあるが、事実だろうと思う。
 ところで、ベートーヴェンが10代に書いたと思われるソナチネ第5番ト長調(ソナチネアルバム第2巻に収録)は、モーツァルトを手本としたと思われる見事な部分動機作法によって書かれており、ベートーヴェンの聴く能力の高さを感じさせるものとなっている。それは第1楽章のみならず第2楽章にも及んでおり(ソ-シ-ラ-ソ-ラ-シ-ソ)、若きベートーヴェンの潜在能力の高さを窺わせる。当時、モーツァルトのソナタ形式の分析書が出版されていたとは考えにくく(そのような分析ができる理論化・作曲家がいたら誰もが知ることになっていただろう)、ベートーヴェンは事実から学んだと考えられる。
 最後につけ加えておくと、少なからぬ音楽書がソナタ形式を「単なる時系列構造と調性構造」で記述している。つまり、提示部(第1主題/原調 - 第2主題/属調 - 小結尾)- 展開部/自由な調性 - 再現部(第1主題/原調 - 第2主題/原調 - 結尾)という形が整っていればソナタ形式というものである。たしかにハイドンを含む古典派前期ではそれで通用したかも知れないが、モーツァルト以降はショパンでもグリーグでも見事な部分動機作法を見せている。ラヴェルあたりまで時代が下ると「恐れ入りました」と平謝りしたくなるほどの綿密さになる。それらに触れずにソナタ形式(古典ソナタ形式も)を記述することは、あまり意味がないと考えるがいかがだろうか。
モーツァルトを完全に分析してみせるにはモーツァルトと同等の能力が必要になるが、音楽理論書の限界は著者の能力の限界に等しいので、それを読んで分かるのはモーツァルトのことではなくて著者についてである。
 というわけで、私の分析もモーツァルトが重要だと考えていたこと全てに言及できるはずはなく、賢明な読者諸氏からは「考え足らずの浅はかな作曲家」と思われるかも知れないが、それは事実なので仕方がない。しかし、音楽を聴くということについて改めて考える契機となれば幸いである。
 音楽書を読むよりも、注意深く音楽を聴くほうがずっと多くのことが分かる可能性が高いのだ。
 
 野村茎一作曲工房

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2009年05月11日

音楽コラム 2009-02-28 注意深く聴くこと その1

 サウンドスケープ(環境における音の情報、音の風景)について考える機会があった。すると、過去に出会ったさまざまな事例が思い出される。
 以前観たテレビ番組で、視覚障害者の人が街中のいろいろな場所で、ここは「何々の音とパンの焼ける匂いで分かる」というように視覚のハンディキャップをそれ以外の感覚情報から得ていることを知った。自分自身が意外にも周囲の音に対して注意深くなかったかということに気づいた瞬間だった。
 とある料理人は音でフライの火の通り具合を判断すると語った。工場の機械の点検は機械を叩いて、その音でボルトやナットの緩み具合を検査していた。缶詰めを叩いただけで中身を当ててしまう「打検士」という職業に至っては、ただただ驚くほかはなかった。詳しいとは微小な差に気づくことだと、自分自身で言っておきながら、もっとも重要な音の分野で私は少しも詳しくなかったかも知れない。
 蒸気機関車や鉄道は、それまでになかった音をもたらした。鉄道路線や駅に行けばそれを聴くこととなったが、その音は、明らかに人類の進歩を感じさせるものだったろう。ガソリンエンジンが発明されて、それが自動車を動かすようになると、鉄道とは異なり、自動車のほうから近くへやってきて否応なしにその音を聴くことになった。自然界が発する音、たとえば風雨や雷鳴などは“騒音”とは言わないだろう。しかし、鉄道や自動車、飛行機、土木工事やビル工事などの音は騒音となる。
 時代が下るにつれて人の住む環境は大きな音で満たされていくことになった。
 原始時代、あるいは古代においては、人々はほとんど足音をたてない肉食の獣の気配に怯えて暮らしていたと想像できる。あるいは獲物の気配を追って聞き耳を立てながら狩りにいそしんでいたに違いない。彼らは現代の私たちよりもずっと注意深く、繊細な感覚を持っていたことだろう。
 軍楽あるいは信号用の楽器を除けば、古楽器はおしなべて音量が小さい。もちろん、製作技術的な理由もあるだろうが、音色の繊細さを優先したことも考えられる。
 音楽史には演奏会用ホールの巨大化と楽器の音量の関係について記されているけれども、繊細な音を優先するならば大きなホールにおける演奏はそもそも受け入れられないはずであり、そこにはサウンドスケープに常在するようになった騒音も関係しているように思われるのである。
 初めてレッスンにお見えになった方とピアノに向かった時、誰もが、ほとんど例外なく“親の敵(かたき)”のように鍵盤を叩く。それはコンサートホールにおけるピアニストの打鍵の無批判なコピーであり(しかし、すぐれたピアニストのそれとは根本的に異なっている)、狭い部屋でのピアノの音の享受には全く向かない性質のものなのだが、本人は一向に気づいていない。ピアノの音に気づくと、ようやく打鍵の最適化というものがあることに気づく。
 似たような例が除夜の鐘などにも見られる。多くの人々が行列を作って鐘を突く順番を待ち、いよいよ自分の番になると撞木(しゅもく)を力の限り鐘に叩きつける。その際に生じる音は高い倍音成分が目立つ「コワーン」というような音になる。しかし、プロの僧侶による“タッチ(?)”は違う。静かに撞木を揺らして撞座(つきざ)に当て、「ご〜〜〜〜ん」という心静まるような響きが広がる。
 ピアノの音色は物理的な理由で決まるのであり、人の都合ではない。私たちは注意深く“ピアノの都合”を感じ取る必要がある。もし、才能という力を定義するならば「有意な微小差を注意深く感じ取る力」としてもよいのかも知れない。

 野村茎一作曲工房
 
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2009年03月15日

2009-03-15 私が学んできた曲-番外編-音楽史を学ぶ-04  音楽史から学ぶ<やってこなかった未来>


 駆け足音楽史も今回で最終回である。バッハ以前の時代に関しては、またいずれ機会をあらためて書きたいと考えている。
 ところで、皆さんはドビュッシーをどのように聴かれただろうか。
 私が中学生の頃、とある音楽史年表の印象派の欄にドビュッシーとラヴェルが並記されていた。ドビュッシーとラヴェルが同じように聴こえた音楽学者もいたのだろう。ドビュッシーは全く新しい音楽世界を切り拓いたが、ラヴェルは伝統に忠実な新古典主義者だった。ただし、ラヴェルは響きに関して言うならばむしろドビュッシーよりも前衛的であり、両者のスタンスが大きく異なるためにラヴェルとドビュッシーを同じカテゴリーで語るには無理がある。2人の有名な弦楽四重奏曲の第1楽章のスコアを見比べただけでも、その違いに驚くことだろう。ドビュッシーが新しい弦楽四重奏曲を生み出そうとしているのに対し、ラヴェルは主題労作をして綿密な部分動機作法によってベートーヴェンを凌ぐような楽章を超えた楽曲の有機的構築を行なっている。ラヴェルによって、モーツァルトが果たそうとしていた古典派のソナタが一応の完成を見たと言っても過言ではないだろう。ところが、ドビュッシーは、そこからどこまで離れられるかということが自身の課題だった。
 前置きが長くなった。
 ウェーベルンは、新ウィーン楽派の中でも傑出した存在である。20世紀中葉のヨーロッパの進歩的な作曲家たちの多くはウェーベルンの一派と見做(みな)しても誤りではない。そして、それは当時の現代音楽の進歩と発展に一定の役割を果たした。
 その中の一技法である「トータル・セリエリズム」は到達点のひとつであったが、全くインスピレーションを持たない作曲家でもデタラメな作品を生み出させてしまう弱点があった。その後に生まれたチャンスオペレーション(偶然性作法)などの新しい作曲技法にも同様の弱点があった。果たして、雨後の筍(たけのこ)のように玉石混交の膨大な評価不能の作品群が誕生しては初演だけで消えていった。これは一種の災厄であった。最も被害を受けたのは、聴衆よりも、むし本当に力のある作曲家たちだったことだろう。
 その災厄の元凶は誤った未来観・未来予測だった。
 無調以外の作曲家は「時代遅れ」であるとされ(“調性の後進性”について、おそらく誰も根拠を示せないことだろう)、音楽(芸術)において最も重要な“精神性の高さ”と“表現手段の先進性”がすり替わっていった。
 同じ年、たとえば1800年に書かれた古典派の作曲家とロマン派の作曲家の作風が異なるのは、その作曲家が何歳の時に音楽を吸収したかによる。つまり、若い時に習得した音楽的スタンスは変わりにくいということである(インスピレーションに恵まれた作曲家は別)。だから、気の毒なのは学生時代に時代錯誤的(レトロフューチャー)な前衛音楽の洗礼を受けてしまって抜け出せなくなってしまった作曲家たちである。
 今でも時折、現代音楽と銘打った演奏会に出かける機会がある。そこで聴くことができるのは、優れた才能を、自分自身や聴衆のためではなく、恩師や作曲コンクールの審査員のために使っているとしか思えない作曲家たちの“勘違いの結実”であったりする。
 本音を言うと、難解であっても素晴らしい作品に出会うこともある。才能ある作曲家は、表現手段にかかわらず普遍的な美に到達するものだ。そのような時には作曲者の能力の高さと、私自身の勉強不足を思い知らされて怯(ひる)んでしまうこともしばしばである。
 しかし、それらの作品がどんなに優れていようとも、広く人々に受け入れられることは難しいかも知れない。その理由を挙げるならば、ひとつにはメソードの不在があるだろう。ピアノ初心者のためのメソードに無調練習曲が少ない(非常に少ない)のはどうしてだろうか。聴衆を育てる努力がなければ「未来の音楽は全て無調になる」という言い分には、どう考えても現実との整合性がない。
 また、歴史というのは人々が望む場合にはその方向に進むことがある。西洋文明に出会って、それを渇望した人々が明治維新を起こしたように(江戸時代からわずか6年で鉄道を開通させている)、歴史には集団としての強い意思が影響するものだ。果たして、現代の聴衆・演奏家・音楽評論家などが音楽の先鋭化・高度化を望んでいるだろうか。
 無調音楽、それも厳密な12音技法が誕生してから1世紀が経過した。人が生きられる一生分の時間なのだから、もう充分な時間が経過したと言えるだろう。シェーンベルクが予想した未来は間違いなく到来した。12音技法は一般化することはなかったものの「古典」となって確固たる地位を確保している。しかし、そこに真の音楽を聴き取ることができなかった作曲家たちの考える未来は、ついにやってくることがなかった。
 今まで述べてきた音楽が難解であるから駄目だと言っているわけではない。分かりやすくてもすぐ飽きられてしまうようでは意味がないし、その時代だけに通用するだけでは作曲者として忸怩たる思いが残るだろう。要は、現代から未来永劫(ちょっと大げさだが)絶えることなく人々を虜にする音楽を追求することが作曲家の使命なのではないかということだ。
 終わりに、私の座右の銘をひとつ。
 
「誰も演奏したいと思わなかったり、聴きたいと思わない曲は書かれなかったのと同じことである」


※手前味噌となるが、私の「60の小練習曲集」にはバイエルレベルで弾ける12音技法の練習曲「12の音で」や複調音楽の練習曲「2つの調で」などが収められている。(「musica-due music store」で全曲の試聴・入手が可能)

musica-due music store

 野村茎一作曲工房
 
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2009年03月14日

2009-03-14 私が学んできた曲-番外編-音楽史を学ぶ-03  近代の音楽 作曲家たちはドビュッシーをどのように聴いたか

 
 1862年、ロマン派の閉塞感を一気に打ち破る感性を持った作曲家、ドビュッシーが誕生した。過去と断絶したかのように見える作風だったが、非常に重要な部分だけは何一つ欠けることなく持っていた。彼はショパンと同等の、完璧と言い得(う)る“ペリオーデ”に対する鋭い感覚を持っており、また、ピアノに関しては“ビロード・タッチ”と呼ばれる「ハンマーを意識させない」ほどの音色を持っていた。
 ピエール・ブーレーズは、現代音楽の始まりを「牧神の午後への前奏曲」から、と述べているが、私も同じ考えである。とくに「牧神」冒頭のフルートがcisから始まっていることが象徴的である。なぜなら、正しく整音されたピアノで静かに打鍵すると、牧神冒頭のcis(エンハーモニックではdes)は一種独特な音がすることに気づくかも知れない。フルートでもcisは全てのカップを開放するので、他の音とは異なる音色となる。これは、ストラヴィンスキーが「春の祭典」の冒頭にファゴットの通常音域外の高いcのロングトーンで始めたこととも通ずるものがある。ドビュッシーは音楽は「色彩とリズムでできている」と述べているが、色彩とは音色と置き換えてもよいだろう。
 ロマン派末期の作曲家たちは、調性音楽の袋小路に迷い込み始めており、ワーグナーのいわゆる「トリスタン和声」(調性が確定するまえに転調していく)をよりどころに、調性の崩壊という方向に進んでいた。そのような時にドビュッシーが登場した。無調へ進もうとしていた“進歩派(と思われていた作曲家たち)”は、調性の枠組みを外れたドビュッシーを歓迎した。“保守派(と思われていた作曲家たち)”の一部はドビュッシーを伝統の破壊者として快く思わなかったが、中には、ドビュッシーの楽譜には表れなくとも、彼の音楽に確固たる調性感を聴き取って、その音楽を歓迎した。
 ドビュッシーが機能和声にとらわれなかったからといって、彼が無調音楽を指向したわけではなかった。音楽の運動力学から考えて、調性音楽を「重力のある音楽」、無調音楽を「無重力音楽」とたとえると、ドビュッシーの音楽には常に重力がある。
 近代以降の音楽は、その多様化においてロマン派の比ではなくなった。一人一派と言っても過言ではないほどさまざまな価値観が氾濫することとなった。
 しかし、それらは全て「重力」があるかないかに二分されると言えるだろう。ちょっと聴くと聴き慣れた長三和音が鳴るのに無重力という音楽もあるので、調性音楽イコール重力音楽というわけではない。また12音による主題が用いられていても、マルタンの「小協奏交響曲」のように明確に重力を感じる音楽もある。
 ここでつけ加えておくと、12音技法の中心的な立場にあった新ウィーン楽派の3人の作曲家、シェーンベルク、ベルク、ウェーベルンについて言うならば、指導的立場にあったシェーンベルクは重力・無重力音楽を書き分けており、ベルクは重力派であった。彼らは、12音音楽が後期ロマン派と密接な関係にあることを示唆した。しかし、ウェーベルンは無重力派であり、20世紀の音楽が後期ロマン派の影響下から脱していくきっかけを作ったと考えられる。つまり、ウェーベルンは、他の2人とドビュッシーの聴き方が異なったのかも知れないという推測が成り立つのではないかと思えるのである。
 バルトークもストラヴィンスキーもドビュッシーの重力を聴き取った。彼らの初期の作品からはドビュッシーの影響を聴き取ることができる。プロコフィエフでさえドビュッシー的重力を感じる。ところが、同じフランス生まれのメシアンは、その天才的で独特な感性によって調性(機能和声ではない)を感じるにも関わらず無重力な印象を受ける。その根はウェーベルンにあると考えられるが、メシアンの影響は非常に大きく、20世紀中葉には無重力派が大勢を占めるようになっていく。なぜなら無重力派は、そこに未来の音楽を見いだしたと考えたからである。それは、科学技術の進歩とともに人類が地球の重力から解き放たれて、地球周回軌道上の自由落下状態を手に入れたことと似ている。しかし、地球周回軌道上に地球の重力が及んでいないわけではない。遠心力と平衡状態にある特殊な環境であるだけだ。
 私は無重力音楽を否定するわけではないが、それが特殊な音楽であることはこれからも変わることがないと考えている。それは地球人の誰もが地球周回軌道、または他の天体に向かう自由落下軌道で無重力を体験できることはないだろうと考える程度には特殊であると思えるからだ。
 近代音楽の多様化への分岐点は、それぞれの作曲家が「ドビュッシーをどのように聴いたか」である、と考えれば近代音楽史理解の糸口が見つかりやすくなることだろう。

 野村茎一作曲工房
 
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2009年03月13日

2009-03-13 私が学んできた曲-番外編-音楽史を学ぶ-02  ロマン派の憂鬱

 音楽史は、基本的に音楽そのものから考えるべきである。
 他の分野にまたがる膨大な資料を詳細に調査することも意味がないとは言えないが、その資料から真実を見いだすのは容易ではなく、音楽史に関する研究書・書物の一部は事実の混乱した羅列に終わっているようにも思える。
 ロマン派を理解するキーワードは「芸術至上主義」の一言で足りるだろう。

1.芸術至上主義がもたらしたもの

 ハイドンは、その迷いのない音楽構築性によって、本来ならば古典派形成の功績が讚えられるべき前古典派の作曲家たちの作品を表舞台から駆逐してしまった。そして、そこから真の古典派音楽界が広がろうとした時、モーツァルトが誰にも真似のできないような完成度の作品を書いて、他の作曲家によるハイドン的古典派発展の芽はなくなってしまった。そこへ、間、髪(かん、はつ)を入れず現れたベートーヴェンは形こそハイドン的な部分を持っていたが、彼はそれまで誰も考えたことのないような「芸術至上主義」に基づく音楽を生みだし、音楽史的な閉塞状況が生じることはなかった。ベートーヴェンは生き様までが芸術至上主義の作品そのものだった。
 “芸術”の定義は容易くないが、ベートーヴェンは「芸術は人々の魂を、より高みへと導く」というような表現をしている。娯楽と芸術は対立する概念ではないが、娯楽に対して人々は受け身であり、より強い刺激を求めるようになるのに対し、芸術には能動的に接し、理解が進むにつれて深みを求めるようになると言えるだろう。もし、落語に対して能動的に接すると落語は芸術となる(すでになっている)ように、全ての人間の行為は芸術化する可能性を秘めていると言える。
 そのことが、大いにロマン派の作曲家たちを迷わせた。簡単に言うと、何をやってもよい、あるいは「自らが本当に望むこと」をやらなければならなかったのである。
 それは、当然のことながら単純に誰かの後を追えばよいというものではなく、オリジナルであることが求められた。ロマン派音楽が多様化していったことの原因はそこにあった。

2.シューベルト、ベルリオーズ

 シューベルトとベルリオーズの曲を聴くと、彼らがそれぞれ異なるベートーヴェンの影に怯えながら創作活動を続けたように見える。音楽のためなら生活の安定などどうでもよかったのは強迫観念が強かったのかも知れない。シューベルトは天才的なスコアを書き、ベルリオーズは素人のようなスコアを書いたが、職人芸だけでは通用しないロマン派の時代には、ままあることだった。シューベルトもベルリオーズも自らが望んだ音楽に到達したわけではなかった。シューベルトは死の直前に対位法を学ぶ手はずを整えていたし、ベルリオーズも楽器演奏に対する未習熟など勉強不足を感じていたふしがある。しかし、この2人が後のロマン派の作曲家たちに与えた影響は小さくない。
 シューマンは典型的ロマンティストであり、ロマン派的交響曲作家であろうとしたが、他の作曲家たちの雑音にまみれて真の自分自身に到達できなかった部分があるように思われて残念でならない。メンデルスゾーンは性格ゆえか、溢れる才能を持ちながら古典派的な領域から抜け出ることができなかった。以後のロマン派作曲家たちも、複雑化していく音楽の流れの中で自分自身を完成の域に持っていくことが難しくなっていったことは想像に難くない。

3.ショパン

 そのような中で、ショパンだけは特異な立場にあった。厳密には彼は他のロマン派作曲家たちと同列に語ることはできない。「まず、自己ありき」というロマン派の作曲家たちの中で、ショパンは自己主張する前にピアノ鍵盤と人の手指との関係性や、音楽の流れが持つ“ペリオーデ”という概念(ツェルニーが述べている“テンポ変化の対称性”が最も近いと思われる)に従った作曲家である。ショパン作品の演奏のポイントを「テンポルバート」にあるという考え方には全く賛同することができない。ペリオーデという音楽的な区切り(節)に沿って対称的なアゴーギクを与えると、テンポルバートよりも遥かに自然な音楽表現が生まれる。テンポルバートが不要ということはないが、それがペリオーデ表現の下位に来ることは間違いない。むしろ、テンポルバートが必要なのはペリオーデを考慮した作曲をしなかった他の作曲家たちだろう。ドビュッシーが同時代の作曲家たちを攻撃したのも、この点についてではないかと考えている。なぜならドビュッシーの音楽はショパンの考え方を非常に厳密に受け継いでいるからだ。
 ショパンは、ピアノ鍵盤や音楽の本質に逆らうことなく自己表現を行なった点において他のロマン派作曲家たちと一線を画している。

4.ロマン派の憂鬱

 ロマン派の時代には、結局ベートーヴェンに匹敵する大音楽家が現れなかった。というよりも現れにくい時代だったとも言えるだろう。なぜなら天才には事欠かなかったからである。ビゼーもチャイコフスキーも才能という点においては文句なく優れていた。しかし、迷いの時代には、名曲を書くことはできても時代を変えることは並み大抵のことではなかった。霧の中で作曲家たちは調性の曖昧さを求めたり、巨大な作品に活路を見いだそうとしたり、次第に実験的になっていったり、逆に保守的になっていったりした。
 そして19世紀末の音楽界は閉塞感に満ちていった。それはドビュッシーが現れるまで続いた。

 野村茎一作曲工房
 
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2009年03月12日

2009-03-12 私が学んできた曲-番外編-音楽史を学ぶ-01   古典派の果たした役割

 
 音楽大学で音楽史を学んだからといって、人前で音楽史について語れるとは限らない。それは、高校で世界史や物理の単位を取得したからといって、それらをマスターしたわけではないのと似ている。
 そこで一念発起して音楽史を学ぼうと志を立て関連書物をひも解いても、いまいち身体に染み込んでこない。というようなことを経験したかたもあることだろう。そんな時に役立つ音楽史理解のヒントを数回に分けて不定期連載したいと考えているが、気まぐれな性格ゆえ、次回がいつになるか当てにならないので気長にお待ちいただければ幸いである。なお、私とは意見を異にする音楽史家の方も少なくないと思われるので、他の音楽史も併読することをお薦めします。

 初回は古典派の理解である。
 西洋音楽の歴史を通じて、古典派ほど特異で、かつ影響力の強い時代はなかったと言える。それは次の4点に集約される。

 1.演奏形態の規格化
 2.楽式の規格化
 3.音楽の前衛化
 4.演奏水準の平均化

1.演奏形態の規格化
 ハイドンは数ある弦楽アンサンブルの中から「弦楽四重奏」という演奏形態を重視し、そのバランスのよさを示すお手本のような弦楽四重奏曲を数多く作曲した。それに触発された作曲家たちが、インスピレーションを得て、次々と弦楽四重奏曲の名曲を書くようになり、現在では室内楽の主要ジャンルのひとつとなっている。
 オーケストラの規格化も同様にして起こった。一部の前古典派を含めて、バロック時代までは各宮廷ごとにさまざまな音楽家が集い、その時々の編成によるオーダーメイドでエクスクルーシヴ(専用の、唯一の、排他的な)な音楽作品が書かれていた。そのような中、前古典派の優れた音楽家たちが集められたマンハイム宮廷のオーケストラは大規模なものであり、早い時期にクラリネットを導入し、まさに現在言うところの「2管編成」となっていた。モーツァルトも、マンハイム宮廷のオーケストラサウンドに興奮し「交響曲第31番“パリ”」を書いたと考えられる。大編成のオーケストラはクレッシェンドひとつとっても演奏効果は絶大で、当時の作曲家たちを虜にしたことは想像に難くない。大編成オーケストラは当時は前衛的・先進的な試みであったと言えるだろう。なぜなら、その表現力は作曲家たちの求めていたものであり、それ以後のオーケストラ編成がエクスクルーシブなものではなく、ユニバーサルな編成へと統一されていったからである。

 2.楽式の規格化

 しばしばバロック時代はポリフォニーで古典派はホモフォニーという言い方がなされるが、実際にさまざまな曲を聴いてみると、その印象は薄れてくる。ヴィヴァルディは一部対位法的な声部処理を行なうことはあっても、一貫してホモフォニーな作曲家であるように、他のバロック期の作曲家たちも主としてポリフォニーを書いていたという例のほうが少ないように感じる。逆に、古典派の作曲家たちがポリフォニーを取り入れる例も目立つ。
 古典派の最大の特徴は、ソナタ形式を初めとする楽式の定型化である。
 マンハイム楽派の作曲家たちは2つの対立する主題のコントラストによる楽式であるソナタ形式の概念を推し進めていた。感情過多な印象のある優雅なバロック音楽は、力強く迷いのない古典派音楽の前に古色蒼然たるものとなった。ヨハン、およびカール・シュターミッツ父子やクリスチャン・バッハ作り上げたシンフォニーなど、最新の音楽の前にバロック音楽は舞台を去るしかなかった。そして、さらに当時の最前衛に位置することになったハイドンの作品群は、それらさえ駆逐してしまった。ソナタ形式を考案したのは前述したようにハイドンではない。しかし、ハイドンのそれは際立っていた。
 楽式構造としてのソナタ形式のほかに、組曲としての「ソナタ」もハイドンによって整備された。3楽章形式で書かれることが多かった交響曲の第3楽章に「メヌエット」を置いて4楽章スタイルを定着させた。バロック時代に多かった「緩-急-緩-急」配置が、ソナタ形式の楽章を含む「急-緩-中-急」となったのである。協奏曲においては、提示部を反復する際に独奏楽器が加わる「協奏ソナタ形式」となって3楽章制が定着し、ピアノソナタなどは、そのひな形のようなスタイルをとるようになった。弦楽四重奏曲も交響曲に準ずる体裁を整え、ここに古典派の楽式スタイルが完成した。それは21世紀の今日にまで影響しており、ドビュッシーらの抵抗も空しく、現代でも作曲家たちにとって交響曲やソナタ、弦楽四重奏曲などは重要なレパートリーのひとつとなっている。

 3.音楽の前衛化

 バロック時代までは、作曲家は自らが仕える宮廷内での演奏を目的とした曲を書いていた。よって、とりたてて個性的であろうとか先進的であろうと考えることは少なかったように思われる。現代もその作品が取り上げられるバロック作曲家たちの多くは、それをよしとしなかった少数の人たちであり、大多数はそうではなかったはずである。なぜなら、現代においても、メディアからレストランに至るまで、実用の場においてはコピーされた同じような音楽で満ちあふれており、誰もが他と異なる音楽を必要としているとは限らないからである。
 ところが、次の節で扱うように、音楽家の活躍の場が宮廷内だけにとどまらなくなると、他との差異が必要になってくる。これが「音楽の個性化」である。さらに、前古典派の時代に起こった「音楽のパラダイムシフト(枠組みの転換)」は、音楽に「進歩」という宿命を課すことになった。ハイドンはその先鋭であったが、モーツァルトの登場は、一部の作曲家たちにとってさらに衝撃的だった。モーツァルトは、ハイドンが行なったような音楽上の改革はほとんど何もしていない。しかし、何もかもが違っていた。音楽の有機的な構成を可能にするためにシュターミッツらが実現しようとしていた「主題労作」を、それこそ完璧な形で実現し、メロディーや和声は洗練の極みにあった。モーツァルト作品に出会った後のハイドンは、明らかに作品の質が向上している。
 その2人の洗礼を受けたのがベートーヴェンである。彼は、先人たちの作品から学びながらも、決して倣うことはなかった。過去から学んでいても、常に未来を見据えていたのである。19世紀以後、音楽は急速にその姿を変えていくが、その転換点はハイドンというよりもベートーヴェンであったと見るほうが妥当だろう。ベートーヴェンはスタイルはハイドンから、音楽的内容はモーツァルトから影響を受けて出発したが、間もなく誰でもない、まさしくベートーヴェンとなった。ベートーヴェンの後には数多くの作曲家たちが列をなして続くことになる。

 4.演奏水準の平均化

 古典派も半ばを過ぎる時代になると、ヨーロッパ中を演奏旅行する音楽家たちが現れる。それまでも放浪の吟遊詩人たちが一夜の宿と報償を求めて宮廷を回ってはいたが、古典派の時代では事情が異なった。高い技術を持った演奏家たちが各都市で演奏会を開くようになったのである。それによって、人々の意識は演奏水準の高い側へと移っていった。それ以前の時代には、大きな宮廷は別としても、標準的な貴族の館では、音楽家とはいっても、普段は小間使いとして働くような環境のなかで、主人の食事や来客の際に演奏していた程度のものだった。
 高いレベルにおいての演奏水準の平均化は、その後の音楽の進歩に拍車をかけることになる。

 駆け足ではあったが、以上が音楽史における古典派という時代の果たした役割である。


 野村茎一作曲工房
 
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2009年03月06日

音楽コラム 2009-03-06 ありもしない未来に振り回されてはいないか

  
 ほんの200年にも満たない昔には、全人類が電気エネルギーの恩恵を受けることなく暮らしてきた。100年前でさえ、多くの人々がそうだった。
 ところが今さらその時代に戻ることはできない。
 一つの例を挙げるならば、電気がなければ病気すら治せない。昔は治療法のない病にかかったら誰もが死を受け入れざるを得なかった。発展途上国では治療法があろうがなかろうが、今でもそうだ。実際には、今でも人類は病を克服しているわけではない。ところが現代の人々は、漠然と医学はどんどん進歩すると考えており、後戻りすることなどあり得ないと思っているように見える。医療は高度化すると技術やコストの問題で一部の人しか恩恵を受けられないということが徐々に明らかになってきている。医療の進歩が全人類に恩恵をもたらすとは限らないのだが、医療の先進化・高度化と人々のコスト負担増は続いている。医療の進歩に意義を唱えているのではない。医療の高度化と進歩が一致するとは限らないのではないかと考えているのだ。
 私自身に関して言うならば、バッハやベートーヴェンでさえ死からは逃れられなかったことが肌身で感じられる齢(よわい)となり、悔いなく生きて素直に死を受け入れたいと考えるようになってきた。それとて、私自身が歳を重ねてきたから言えることであり、このように考えるのは若い時には難しかったことだろう。
 20世紀になって大きく変わったことのひとつに「速度」がある。乗り物の速度、生産の速度、情報の速度などが飛躍的に向上した。20世紀中葉には「21世紀には全ての旅客機が超音速になっている」と言われても納得していたに違いない。実際には速度が上がると、それ以上に消費エネルギーが増えて実用的ではないことが明らかになり(それは設計段階から分かっていたが、政治家や経営者は実際に飛ばしてみるまで受け入れられなかった)、コンコルドは継続生産されることも後続機が開発されることもなく廃止された。現在日本で進められているリニア新幹線も、速度(性能)効果とコスト(需要)が釣り合うのかどうか定かではない。
 これらのことがらに共通することは一種の“勢い”ではないか。企業も業績が伸び始めると、どんどん高い目標を設定したくなると思うのだが、そのような“勢い”である。分かりやすいように大げさな例を挙げると、“勢い”とは需要が100万個のマーケットに200万個売り込もうというようなものだ。そこには、今の需要が100万個でも今後200万個まで拡大する、あるいは拡大させるという見込みがあるに違いない。たしかに、その時点は、マーケットにもそんな気配が感じられたのだろう。
 あるいは、入社以来10年くらい給与が安定して伸びてきたとする。それが自分自身の永続的な給与水準であると考えて、支払い可能限度内と判断した高額なマンションを購入するのも“勢い”のひとつだろう。経済状況の変化で給与が下がってローンが重くのしかかってくると、そこで初めて、購入時の給与が業績好調時のものであって、本来の収入ではなかったことに気づいたりする。
 ここで音楽界に目を移す。今までにも“いわゆる”現代音楽の作曲界が、勇み足とも言うべき“勢い”で聴衆と乖離してしまったことを書いてきた。しかし、それは現代音楽の作曲家たちだけに言えることではない。クラシックブームと言われることもあるが、それはまさにブームであって、長い目で見ると、少なからぬ演奏会が退屈なものになってはいないだろうか。ポピュラーミュージックばかりが聴衆を集めるのは「クラシック音楽が訓練を受けないと理解できない音楽だからだ」という主張もある。ならば、なぜクラシック音楽界には聴衆を訓練する力がないのだろうか。ポピュラー系音楽の強みは、その時代その時代に合わせて音楽が変化して人々を惹きつけるところにある。そのために音楽家たちは努力している。ところがそれが弱みでもあり、長く聴き継がれる曲が生まれにくい。クラシック系の音楽は、その歴史が古いために、時代を超えて生き続けてきた曲がレパートリーの主体となっている。源氏物語が時代に合わせてその時々の現代語訳を生み出してきたように、クラシック音楽もその音楽的解釈が更新されてしかるべきだろう。もちろん、そのように努力している音楽家も少なくない。しかし、一流と言われる演奏家でさえ、それが“個人の練習成果の発表”となるようなステージであったりすることが、ままある。もちろん、自らの向上を目指して日夜たゆまぬ努力を続けている人たちが圧倒的に多いことは間違いない。しかし、先端医療の開発と医療の進歩が一致するとはかぎらないのではないか、と書いたのと同じように、私たち音楽家は“音楽の追究”のほかに、聴衆と歩調を合わせたり、優れた聴衆が生まれる素地を作り出す努力をする必要があるのではないだろうか。聴衆に理解されないと嘆くよりも、聴衆とともに進歩していくのが本筋であるように思われてならない。“優れた音楽家は優れた聴衆を育て、優れた聴衆は優れた音楽家を育てる”ということである。
 私たちを迷わせているのは、勝手に想像した“ありもしない未来”なのではないだろうか。もし私たちに、前述した勇み足のような“勢い”があるのならば、それを見極めて冷静に排除しなければならないだろう。どんなに(音大入試やコンクールでもてはやされるような)いわゆる“音楽的な才能”があったとしても、それを本当の目的のために使えなければ力は生かされない。自らが何をすべきかが分かることこそを真の音楽的才能と言うべきだろう。 

 野村茎一作曲工房

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2009年03月03日

音楽コラム 2009-03-03 オリジナリティ


 オリジナリティとは自己の発見である。
 これで全て分かってしまったかたもあることだろうが、もう少し説明を加える。
 個人の内面とは「事象の捉え方」であり、それが行動の規範となるために、私たちは他者の内面を、その行動・行為の観察によって一部なりとも伺い知ることができる。
 突拍子もない例だが、あなたが人類初の太陽系外地球型惑星探査のメンバーに選ばれて、宇宙生物に出会ったとする。その時、あなたはその生物に知性があるかどうかをどのような基準で判断するだろうか。知性にもいろいろなタイプがあって、ひょっとしたら波間に漂うクラゲでさえ人生について深く考えているのかも知れない。しかし、人間が知性と感じるのは人間型の知性だろう。であるならば、私たちは「人工物(知性による作業の結果)」の有無によって知性と文明の存在を感じ取るのではないだろうか。
 音楽を神の啓示と考えることもできるが、楽譜として表現された瞬間、知性による作業が行なわれたことは確かである。
 ベートーヴェンの未聴曲を聴いて、それがベートーヴェンの音楽であると認識することは、私たちがそこにベートーヴェンを認めるからであり、これが他者の発見と言える。ところが、自己の発見は容易ではない。
 オリジナリティとは「まだ誰もやってないことを行なう」ことではない。他者の理解を完全に拒絶するのだと言い張って、極めて難解な(もともと理解など存在しないような)曲を書いたとしよう。それは、実は自己の理解さえ拒絶してしまうのではないか(書いたという行為に対する満足だけはあるかも知れない)。
 オリジナリティとは、他者との共通の美学に則った上で追究されるべきものである。ローカルな範囲での共通美学に則った曲(民族音楽など)は、その範囲の人々の間で好まれたり不評を買ったりするだろうが、その外にいる人たちには評価不能かも知れない。お互いの文化的な交流が始まって共通の美学を見いだせば、お互いが歩み寄ったり、あるいはワールドワイドな音楽に成長したりする。
 オリジナリティの源泉は、平たく言えば「作者の好み」である。自分が好きな音楽、求める音楽は何かというだけのことだ。答えは自分の中にしかない。こればかりは誰を頼ることもできないが、裏返して考えれば誰にも頼らずにできるということでもある。
 そのために学ぶべきは「普遍的な美学」ということになる。それは、音楽を聴く時に何を聴いているかということである。ショパンもドビュッシーも普遍的な美学の上に自己のオリジナリティを構築している。
 20世紀後半、その問題を見失った一部の作曲家たちによって書かれた曲を21世紀の耳で聴くと、伝統の上に立脚することの大切さを思い知らされる。
 念のために書き添えておくが、聴きやすいとか分かりやすい曲を書くべきだと主張しているのではない。本物であるならば、どんなに高度で、かつ難解であってもよい。“本物”とは、理解した時、その曲が触媒として作用し、聴く者を高みへと引き上げるというようなものを指す。そのような意味においては、音楽はどんなに進歩してもよい。


 野村茎一作曲工房
 
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2009年02月20日

音楽コラム 2009-02-20 未消化の時代

  
 録音が可能になっただけでなく、豊富な録音メディアの入手が楽になったのはそれほど昔のことではないだろう。
 ベートーヴェンでさえ、自分自身の交響曲を聴く機会は生涯にどれほどあったのだろうか。あるいはブラームスが、自らの作品だけでなく、他の作曲家のオーケストラ作品を聴く機会はどのくらいあったのだろうか。それに比して現代の私たちが置かれた状況は信じられないほど音楽情報が豊かであると言える。にもかかわらず、その利を生かしているかというと、そうとばかりは言えないのではないか。
 ピアノのようにひとりで完結してしまう楽器を扱う音楽家は、ずっと昔からいくらでも繰り返しひとつの曲に触れることができた。しかし、現代は誰でも世界の名演奏家の演奏にいくらでも触れることができる(決して、今日の食べ物にもこと欠く国々の人々を忘れているわけではない)。
 現代のこの音楽環境の最大の強みは音楽史と、まさに同時代の音楽世界を概観できるということだろう。ということは、私たちに要求される力が2つに集約される。それは時間軸と時間平面上に広がる3次元的な音楽世界の立体像を把握する力と、真に優れた音楽を選択する力である。それを持たない人は音楽の海を漂うだけで終わるか、あるいは溺れてしまうことだろう。
 モーツァルトは生演奏以外存在しない時代においても、その卓越した記憶力によって一度、あるいはほんの数回聴いただけのその交響曲の構造を理解したように思われる。これは私見であるが、もし、記憶に怪しげなところがあれば、それはモーツァルトのインスピレーションによって、むしろ高められて彼の中に再構成された可能性さえあるのではないか。現代は多少記憶力が悪くとも覚えるまで何回でも聴くことができる。しかし、覚えることと全体を把握することは意味が異なる。
 妙な話だが、私の場合、自分で作った曲なのに作曲した当初は曲への理解が全く足りない。それを痛感させられるのは決定稿を書くために推敲・校訂作業を行なっている時だ。アーティキュレーションもデュナーミクもすぐには決定できない。つまり、理解できていないということだ。繰り返しその曲を自分の中に流していくうちに、その曲の本来の姿が朧げながら見えてくる。これが記憶と理解の質的な差の一部を表していると思われる。
 元に戻る。「3次元的な音楽世界の立体像の把握」とは、音楽世界のアドレスを理解することであり、それによって、くまなく音楽世界を概観することができることになる。その世界で見いだした“真に優れた音楽”を吸収して、作曲者が理解していたことがらに少しでも接近することが私たちが積むべき音楽経験だろう。現代の音楽環境は、そのために利用すべきものであって、環境に振り回されていては意味も成長もない。
 豊富な音楽情報が豊かな音楽環境をもたらしているにもかかわらず、少なからぬ音楽愛好家が未消化のまま豊饒の海をあてもなく漂っているとしたら、なんとももったいない事だ。
 
 野村茎一作曲工房

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2009年02月19日

気まぐれ雑記帳 2009-02-19 何度でも“インスピレーション”

 
 このコラムは、基本的には私のところにレッスンにおいでいただいている皆さんへの補助教材という意味合いが強いのだが、一般の方々にもお読みいただいているということを知って大変うれしく思っているということをお伝えし、心よりお礼申し上げます。
 しかしながら、このようなコラムだけでは足りずに、なぜ1対1の生身同士でレッスンを行なう必要があるかと言えば、まさにクオリアの伝達のためである。たとえるならば、このコラムでは食べたことのない果実についていくらでも説明はできるけれども食べていただくことはできない。ましてや、私のレッスンでは市販されていない果物ばかり扱っている。だからといってレッスンにおいでくださいとお誘いしているわけではない。1回のレッスンには大変なエネルギーが必要で、本当に私を必要としている少数の人にしか力をお貸しすることはできないからだ。だから、まさに自分がそうだと思われた人が(募集もしていないにもかかわらず)、訪ねてきてくださる。これも感謝に尽きるとしか言いようがない。
 さて、クオリアは色や匂いなど、体験しなければ知ることのできない感覚による理解である。なかでもとびきり体験困難なクオリアが“インスピレーション”だろう。
 私たちが絵画を見たいと思ったり、音楽を聴きたいと思ったり、小説を読みたいと思ったりする根本的な原因は“インスピレーションに触れたい”ということではないかと考えている。
 今までにずっと書き続けてきたように、インスピレーションは、作品、あるいはインスタレーションやイベントとして実現されるべきものなので事実に即していなければならない。想像力ということばが、まるで“足が地についていないような突飛な考え”を生み出す力だと思われがちだが、それは誤りである。たとえばUFOイコール“エイリアン・クラフト”というのは想像力の欠如どころか思考停止としか言いようがないのと似ている。一度聞き及んでしまった考えから外に出られないという意味である。
 遥か昔、宇宙人という存在を思いついた人には確かにインスピレーションがあった。人類と同等、あるいはそれ以上の知性を持った宇宙人もいると考えた天文学者フランク・ドレイクは宇宙(くじら座τ星)に向けて電波信号を発信した。ここにもインスピレーションが介在している。
 簡単な例を挙げよう。図形パズルのような問題を解く時、その“仕組み(図形の全体像)”を捉えた時に解答にたどりつくのではないだろうか。それが、そのパズルにおける“事実”である。
 レオナルドは「事実から学ぶ」という態度を終生貫き通したが、これは簡単そうでなかなか難しい。私のところに初めてお見えになられた方で、すぐにレッスンを始められる人はごく少数である。私もそうであったのだが、生まれてこのかた“考えたことがない”のだ。大げさに聞こえるかも知れないが、失礼ながら、ほとんどの人は“知っている”か“知らない”かのどちらかで生きてきたように思われる。だから分からないことは教えてもらうものだと思い込んでいる。

「ならば、どうすればよいのですか? 教えてください」

 人間が決めたルールならばいくらでも説明しよう。

「これは100円硬貨というもので、(双方が同意すれば)100円までの価格が付与されたものと交換できる」

 ただし、人が定めた価格(人が付与する)は説明できても価値(そのものに内在し、人が気づかなければ無いに等しい)は説明できない(ミクロ経済学の専門家のかたには異論もおありとは思うが)。価格と価値は等価ではないのはもちろんのこと、意味が全く異なる。

 音楽は高度に抽象的であるので、事実から学ぶということ自体が分かりにくい。“事実から”ではなく“事実を学んで”終わってしまうこともある。以下の文章について論評していただきたい。

「白熱電球を発明したのはイギリスのスワンだが、発電所を建設して電力供給を行ない、電球を実用化したのはエジソンである」

 ここから読み取れることは驚くほど多い。それぞれ視点が異なるために、その内容も多様である。
 少なからぬ人々が白熱電球の発明者をエジソンだと信じているのはなぜか。そもそも、スワンとは何者か。電球というのは単体では役に立たない。まるでガソリンスタンドのない世界のガソリン車のようなものだ。実用化というのは電球を長寿命化したことを指すのではないのか。発電所よりも電球が先に発明されたことが納得できない。
 しかし、クリエイターは上記のようなことは読み取らない。

「せんせい、もし私が都市計画をやせてもらえるなら、道路を幾何学的や、あるいは街にふさわしいシンボリックな形状にして、夜になって街路灯が点灯されると上空の飛行機から見てすぐにどの街であるか分かって、おまけに幻想的で美しい景色にします」

 これは政治的・財政的な問題を別にすれば実現可能なアイディアであり、まさにインスピレーションの典型だろう。
 作曲する、あるいは演奏するということはインスピレーションを具現化することであり、それはまさに事実に即しているばかりか、発想した本人にとって真に実現する価値がなければならない。

 ところで、南の魚座の主星である“フォーマルハウト”は私の持ち物である。「フォーマルハウトについて」という拙作を聴いたおちびさんのインスピレーションによってプレゼントされたからである。もし、フォーマルハウトに行く時には私の承認が必要となるのでご注意願いたい。

 野村茎一作曲工房
 
posted by tomlin at 15:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 気まぐれ雑記帳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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