2009年10月07日

気まぐれ雑記帳 2009-10-06 やる気の正体


 何かをやり遂げようとする人は“意志が強い”とか“やる気がある”と思われがちだが、それは音楽を「音による時間芸術」と定義するようなもので、分かったような気がするものの実はその実像を言い表しきれてはいない。
 近所の宝くじ売り場を通りかかった時、今まさに次に売られるくじが1等賞の当たり券であることが判ったら、ほとんどの人が買おうと思うのではないか。この「買う気」というのはどうすればよいかが分かっている時に起こる動機である。もちろん、結果が分かっていると言い換えることもできる。
 どうすればよいのか分からない時には“やる気”は起こらない。また、結果がわかっていたとしても、それに価値や魅力を感じなければ“やる気”は起こらない。

 どうすればよいのかということが分かるためには「事実の把握」が第一歩であり、それはとりもなおさず“仕組み”を理解することである。ここで当コラムのアーカイヴを思い出していただきたい。「頭が良い」とか「すぐれている」ということは「本当のことが分かること」であり、事実が把握できることである。最初にそれを具体的に言葉にしたのはレオナルド・ダ・ヴィンチであった。彼が万能の天才のように見えたのは(見えただけではなく実態も伴っているが)、事実の把握を何よりも重要であると考え、そのとおりにしたからである。
 ちょうど、今がノーベル賞受賞者の発表時期なのだが、受賞者たちは誰もが“事実を明らかにした”功績によってその栄誉を受けているのではないか。
 養老孟司さんの提唱した“バカの壁”(言葉は悪いが言い得て妙なのでこのまま使う)は、事実が捉えられなくなる限界を指している。バカの壁が分かりやすいのが数学だろう。虚数でも微積分でも、あるいはテンソルのような概念でもかまわないが、そこから先は、いくら説明を聞いても頭に入ってこないというところがあることだろう(数学者だって、もっとずっと高いところまで行けば壁があるに違いない)。それが、その人の“バカの壁”であって、学校教育の場では、それを乗り越えないと落ちこぼれてしまうことがある。しかし、それを乗り越えなければいけないかというとそんなことはない。
 かつて教育課程審議会委員(後に文化庁長官)であった作家の三浦朱門氏は「二次方程式が解けなくて人生に困ったことはなかった」と主張、実際に中学数学のカリキュラムから二次方程式の解の公式は必修事項から外された。ということは、審議会にいたであろう数学者たちの誰もが「中学生には二次方程式の解の解法を知ることが必要である」ということをきちんと説明できなかったということになる。そもそも、そんなことは誰にも説明できない。だからカリキュラムとは盤石の根拠の上に成り立っているものではないし、その必要もない。
 私は三浦朱門氏に賛成しているのでも反対しているのでもない。学校教育におけるカリキュラムでさえ、誰かの思い込みで構成されているだけだと言いたいのだ。そこに権威が与えられると誰もが無批判に従うようになる。以前のことになるが、わが家の子どもたちが中学生くらいの時に、さかんに学習教材を売り込む営業電話がかかってきた。そこでの売り文句は、各社異口同音に「最新の学習指導要領に準拠しております」だった。学習指導要領の権威に頼るのは、学習指導要領について自分なりの理解と見解がない場合だろう。もし、自分の言葉でその価値を語ることができるのならば、それは他人を説得するに足るものとなることだろう。
 その理解が価値があると思えば(それを理解することの意味が分かっている。つまりやる気の条件)、バカの壁を克服すればよいし、そうでなければ“縁がなかった”と思って、自分が大事だと思うことを学べばよい。そもそも大多数の人が学習指導要領に頼っているのだから、学習指導要領にない分野を極めればスペシャリストになれる可能性が高いわけだ。
 学習塾は苦手の克服を目標に掲げることだろう。受験対策としては正解である。しかし、苦手の克服ほどやる気の出ないものもないだろう。音楽に限らず、芽を出そうと思ったら「得意なことの限りない追究」こそが本道である。本当のことが少しでも分かれば、その価値も理解して確信できる。その確信が“やる気”の原動力である。やる気が欲しければ、きっかけが必要ではあるが、何かの本当の姿を知ることが必要である。もちろん逆もある。本当の姿を知ったら壁の高さに驚いてやる気が失せる場合だ。いずれにせよ、私たちには事実を知ることが必要だ。
 自分に思い込ませようとしても駄目だ。事実は決して曲げることができない。本当のことだけが実現する。
 最後にひとつ付け加えておくと、事実は一つだが真実は一つとは限らない。たとえば紹興酒を飲んだ一人が「うまい」と感じ、別の一人は「まずい」と感じた時、紹興酒の味という事実はひとつだが、それぞれの感じた「うまさ」「まずさ」は2つの真実である。ただし、この二人が紹興酒について追究していくと、そのうち感じ方が変わって同じ結論に達する可能性もある。実は芸術の本質もそこにあるのだが、それは別の機会に。
 
 野村茎一作曲工房
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2009年10月06日

気まぐれ雑記帳 2009-10-05 タイプ分けの勘違い


 「絶対音感を持たない人は相対音感である」と思いがちだが、実際にはそうではない。
 絶対音感にもいろいろなレベルがあるので、ここでは固定ドのピッチ(音高)が変わらない人は誰でも絶対音感とする。相対音感とは移動ドのピッチが与えられれば残り11音が分かる人としよう。それでは厳しすぎるというなら音階上の幹音の残り6音が分かるだけでもよい。そう考えると絶対音感も相対音感も持たない人が多いのではないか。また、絶対音感と相対音感の両方を持っている人と、どちらか片方という人もいることだろう。つまり、絶対音感と相対音感は対立する概念ではないということだろう。
 それと同じように「理系 / 文系」という区別も考え直さなければならないのではないか。「理系でなければ文系」という論理は短絡的すぎるだろう。理詰め(屁理屈ではない)で相手に有無を言わせぬ力があれば理系であると言ってよい。それに対して情緒に訴えて言葉とイメージで相手を味方にすることができれば文系と言えるだろう。どちらかと言えば理系、あるいはどちらかと言えば文系という言い方も成り立つとは思うが、成り立つのは言い方だけで実態は伴わない可能性もある。つまり、訓練を受けてみたら文系だと思っていた人が実は理系だったとか、両方の力を合わせ持っているということもあるのではないか、ということだ。稀に、生まれつきそれらの力を持っている場合もあるが、多くの人は訓練がなければどちらの力もない。あるいは絶対音感や言語能力のように一定の年齢の時に訓練を受けることによって生じる力であるかも知れないが、それについて私は何の情報も持っていない。
 いずれにせよ、そもそもタイプ分けは意味がない。ステロタイプ的なタイプ分けなどしている暇があったら、自らをトレーニングしてみたらどうだろう。何も途方もないような高みを目指すということではない(もちろん、目指したい人は目指すべきだ)。そうしているうちに、自分の本当の姿が明らかになってくるに違いない。その姿は、それ以前に想像していた“タイプ”に当てはまるものだろうか。
 作曲家は文系か理系かと問われたら、それに答えることは易しくない。
 直接人々の心に訴えるという点では文系だが、音楽を表現するスコア(総譜)を書く作業は極めて論理的なものだ。徹底的に理詰めである。いわゆる“勉強”が嫌いだから音楽をやる、というような考え方は音楽を学び始めたらたちまち吹っ飛ぶ。少なからぬ人がエンハーモニック(異名同音)の段階で立ち往生してしまうかも知れない。嬰ハ(Cis)と変ニ(Des)は同じ音高(ピアノで言えば同じ鍵盤)であるが、楽譜に表記する時にはどちらかの音に決めなければならない。その判断は論理的に為されなければならないが、派生音(音階以外の音)であった時には裏付けを与えるのが難しい時がある。
 しかし、よくよく考えてみれば論理でなんとかなるのならば、それはあまり難しくないとも言える。本当に難しいのは理詰めではどうにもならない“インスピレーション”を得ることかも知れない。理詰めの時にも“閃(ひらめ)き”が必要であることが多く、それはインスピレーションに近いものだが、理詰めの時の“閃き”は正解であることが検証できるので、ここで言う“インスピレーション”とは少し異なる。音楽上のインスピレーションは“感じる”ことはできるが、万人を納得させる検証が不可能であることが多い。それは、バッハのインスピレーションが2世紀を経てようやく人々に理解されたことを考えれば分かるだろう。
 「天才は教育では育たない」という言葉も、ある意味において真理だろう。しかし、“自然”は天才を育む。天才は人の言葉によって育つのではなく、事実を読み解くことによって自らを鍛えているのではないか。レオナルド・ダ・ヴィンチが文系であったのか理系であったのか考えるのは意味があるだろうか。そんなことよりも彼がたどりついた境地について思いを巡らすほうがずっと役にたつことだろう。たとえて言うなら、地面に張りついて西に行くか東に行くかという考えしかない時に、空を見上げることを思いつくようなことである。

 野村茎一作曲工房
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2009年09月17日

音楽コラム 2009-09-17 多声部を聴き取ると


 私を含め、無理解と勘違いが服を着て(たまに裸かも知れないが)生活しているのが人間なので、人は事実に触れるたびに驚いたり学んだりする。
 ここで言う“驚く”とは、事実が予想とは異なっていたことに直面した時の感情である。
 作曲家は、多くの場合ピアノが弾ける(形だけでも)ので、大部分の人がピアノ曲を書ける。右手の単旋律に左手の和声伴奏が付けば形の上ではピアノ曲になる。スカスカでも音楽には聴こえる。それを延々30分を要する曲として仕上げても、“長い曲”ではあっても大曲とは言わないだろう(ただし、サティのような特殊な才能があれば、楽譜上はスカスカでも音楽的には緻密なものが書けることは考慮しなければならない)。
 曲が長いだけでなく、楽器編成が大きくなれば大曲だろうか。確かに大編成のオーケストラによる長大な作品は無条件に大曲と呼んでしまいそうである。ここでは、その問題について作曲する側からの考察を記す。
 作曲のレッスンをしていて、学習中の誰もがぶつかる難題のひとつが多声部化の壁である。素晴らしい着想を持つ人でも、声部がひとつ増えただけで力が発揮できなくなることがある。歌は少し違う要素があるのでここでは除くが、独奏楽器とピアノによる曲を書くとピアノが単なる和声付けのための伴奏になってしまい、本来の多声部化が実現しないことがある。対位法を駆使しなさいということではない。音楽的に対等であるべきということだ。
 ピアノと最も相性(表現力が互角と言う意味で)が良い楽器はヴァイオリンではないかと常々思っているのだが、両者が対等の関係で音楽を構築していくことが最低限(最低限ですぞ)の条件だ。
 ここで話を一度ピアノ独奏曲に戻そう。ショパンやドビュッシーはアルベルティバス(ドソミソ音形)を使わない。人は右手と左手が分離しているので、ついつい伴奏とメロディーというような関係に扱いがちではあるけれど、前述した2人は右手と左手の協調性を重視して、10本指のためのピアノ曲を書こうとしている。
 そのまま自然に独奏楽器が加われば、たとえば「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」と呼ぶのにふさわしい曲となる。ヴァイオリンが明らかに主役ならば、「ピアノ伴奏付きヴァイオリンソナタ」だろう。
 これがなかなか難しい。フランクやブラームスのヴァイオリンソナタは、この点において良い手本となる。ヴァイオリンもピアノも非常に豊かな表現力を持っているので(弾き手の表現力も重要だ)、音楽史上の一流の作曲家の作品でさえ、その表現力には届かない音楽作品が少なからず存在する。
 しかし、まあ無事に独奏楽器とピアノが対等に響く曲を書くことができるようになったとしよう。次にはもっと高い壁がそびえ立つ。それは、2つの独奏楽器とピアノのための曲だ。いわゆる「ピアノ三重奏曲」である。
 少なからぬ曲について言えることは、本当に3人の奏者が必要なのかということだ。バロック時代の通奏低音付きソナタとは全く異なる概念の話である。曲を発想した時点で、それが3声部を必要とするものでなければ、3声部で書けるはずがない。また、一人たりともオマケの奏者を作ってはならない。そのためには、まず先ほどの「独奏楽器とピアノ」のための作曲を極める必要があるだろう。
 次なる課題は「弦楽四重奏曲」である。ここから先は少し話が異なってくる。ピアノを含む曲とは違って、各楽器はもともと対等ではない。バッハの「フーガの技法」のように完全に対等である曲も存在するが、各楽器のテリトリーがはっきりしてきて役割分担が生じてくる。ここからはオーケストレーション(管弦楽法)の世界に入る。弦楽四重奏が扱えるようになったら、もう管弦楽法について学ぶ時期が来たといってよい。
 もちろん、オーケストラ曲であるべき発想を持っているという前提での話である。
 管弦楽法など知らなくても、各楽器の音域さえ守れば誰でもオーケストラのスコアを書くことはできる。オケを鳴らすだけなら難しいことは何もないと言っても過言ではない。
 ところが、これまでの手順を踏まずにいきなりオーケストラを扱うと、ベルリオーズの「幻想交響曲」のようになってしまうかも知れない。幻想交響曲は、多声部化に成功していないにも関わらず音楽的に成功した交響曲のひとつと言えるだろう。ヴォーン=ウィリアムズの「交響曲第3番」やショスタコーヴィチの「交響曲第5番」を聴き込んでから「幻想交響曲」を聴くと声部の扱いの単純さに気づくかも知れない。だからと言って幻想交響曲が駄作であるとか失敗作であるということではない。これが芸術音楽の妙とも言える面白いところなのだが、発想の秀逸さが全てをカバーしてしまうこともあるのだ。ヴォーン=ウィリアムズの第3番がどんなに見事に多声化を実現していたとしても、幻想交響曲以上にファンを集めることはないだろう。幻想交響曲のほうがはるかに分かりやすいからだ。ヴォーン=ウィリアムズとショスタコーヴィチに共通していることは、オーケストラでありながら、いたるところに綿密な室内楽的アンサンブルがちりばめられているところだ。
 冒頭に“驚く”という言葉について書いた。オーケストラ作品をメロディーだけ追って聴いていた人が、作曲者の管弦楽法に対する見識と矜持に気づいた時、それはおそらく音楽人生がひっくり返るような驚きの体験となることだろう。
 いわゆる“ドレドレ感”(ペリオーデ)に気づいた時の驚きには及ばないかも知れないが、ドレドレ感の時と同様に「今まで音楽を知らなかったのかも知れない」という感慨に関しては共通のものがあるだろう。そして、ドレドレ感同様、知らなければ知らないで全く気にならない。
 私たちが天才作曲家たちに近づくのは、本当に大変なことであると常々感じるところだが、私などいつになっても近づけそうな気がしない。謙遜しているのではない。聴こえれば聴こえるほどゴールが遠ざかってしまうのだ。


 野村茎一作曲工房
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2009年08月23日

音楽コラム 2009-08-23(05-14) 自らの疑問に答える

  
 もし「私たちが一生の間に何をすればよいのか」と問われれば「自らの疑問に答えること」と回答するだろう。
 作曲するという行為を例にとれば、どういう曲を書けばよいのかは誰にも訊ねることができない。自らに問うしかなく、当然のことながら自ら答えるしかない。これを少しずつ広げて考えれば、どのように生きるか、あるいは今日なにをすべきかということまで、答えは自ら出すしかないという単純な原理がお分かりいただけることだろう。
 ところが、楽譜の読み書きのように人間が決めた共通ルールは他者から情報を得なければならない。また種々の実験によって明らかにされた物理法則などは、自らが全てを追試したり追体験することは有限の人生においては不可能なので、他者から学ぶことのほうが合理性がある。
 その区別は明解であるように思えて、その境界線ははっきりしない。
 たとえば楽式構造としてのソナタ形式は、他者から学ぶべき要素と独自性を発揮すべき要素が渾然一体となっている。ベートーヴェンのソナタ形式は見方によっては全て同じ法則に則っていると考えることもできるし、全てが異なるとも言える。ソナタ形式というのは、多少乱暴な言い方をすれば一般化された「人間心理の図式化」であり、ソナタ形式の曲を書くということは形式に則ることではなく、作曲者自身の心理の具体化である。だから優れた作曲家が先入観に囚われずに、心の耳に忠実に書けば全て異なって当然であると言える。
 「勉強すれば作曲できる」という考え方には無理があるが「勉強しなければ作曲できない」という言葉は当たっている。しかし、勉強しただけでは作曲のスタートラインに立つこともできない。作曲のスタートラインに立つためには、自分の中に答えなければならない疑問が必要だからである。その答えが“インスピレーション”である。
 内なる疑問を持ち、なおかつそれに答えようとしない者にはインスピレーションは訪れない。
 過去の偉大な哲学者、宗教者のみならず、偉人達の残した言葉は、全て彼ら自身の内なる疑問に対する答えである。それが広く普遍性を持つものであれば格言と呼ばれるようになる。
 それを絵によって答える者が画家であり、音楽作品で答える者が作曲家である。

※これは2009年5月14日に書いたコラムを加筆修正したものです。

 野村茎一作曲工房
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2009年08月22日

気まぐれ雑記帳 2009-08-17 学校教育私見 その2

 前回は学校が果たすべき役割、および学校教育に対する社会の認識がどうあるべきかについての私見を述べた。
 そして、その上に立脚していよいよ本題に入る。
 ずっと昔のことになるが、ある人が「漢文が得意だった」と言った。それを聞いて気づいたことが、次のようなことである。
 その人が「漢文が得意であった」ことの意味は、他教科に比べて「漢文」のテストで得点することに長けていたということに他ならない。なぜなら彼は漢詩ひとつ作ったことはないばかりか、教科書に出てきたもの以外の漢詩をひとつも知らなかったからである。もちろん、授業が終わって漢詩とも縁が切れた。つまり、得意出会ったという割には、好きであったわけでもないということだ。
 そもそも、学校教育における成績というものは、学力考査の出題者の意識の中にある設問に対して答えた結果である。それも問題には出題しやすい(採点しやすい)ものとしにくいものがあり、どうしても出題しやすい問題に偏って学力が測られる。それで本来の学力が分かるとは限らない。それでもなんとかなるのは順位づけをすれば済む入試のような場面だけだろう。学校では学力を測りたいのであり、生徒達に順位をつけたいわけではないのは言うまでもない。
 非常にレベルの高い話をしてしまうと、優れた問題というのは難しい問題を指すのではない。また、難しい問題を解いた生徒・学生を優秀であると判断する根拠は、説明しようとすると意外に難しいはずだ。ここまで読んで、学力を測るための設問が非常に難しいことに、すでに気づかれた方もいらっしゃることだろう。
 息子の高校時代の試験問題を見せてもらったことがあるが、どの教科も概ね、授業を真面目に聞いて、言われたことを覚えたかどうかを確認するための問題が大部分を占めていた。もう、覚えてはいないが私の時もきっとそうであったのだろうと思う。
 習っていないことを出題したら問題になるだろうが、本来の考査は“習っていない問題”によって行われてもよいはずだ。
 海外留学した高校生が、歴史のテストは教科書も資料集も持ち込み可(おそらくカンニングさえ可)であることに驚いたと書き記していたのを読んだことがある。設問は歴史観を問うものであり、歴史学者になったつもりにならなければ答えられないようなものであり、勉強するということがどういうことであるのかその時悟ったというような内容だった。
 音楽で言うならば、難曲を演奏することもひとつの能力であるけれども、真に重要な力は音楽の理解である。私のところにはピアノ指導者の方々がレッスンにお見えになられている。音大で学んだにも関わらず、なぜ私のような無名の作曲家の門を叩く必要があるのか。それは、音大でさえ、小学校から連綿と連なる学校教育の範疇から外れておらず、ピアノが弾ければピアノ演奏の能力があると判断されてしまうことに気づいた人たちがいるからである。
 多くの企業は、おそらく大学における授業内容をあまり重視していないだろう。どの大学を卒業したかということではなく、どの大学に入学できたかということのほうが重要ななずだ。つまり、大学はどの人の学習能力を測るための装置といっても過言ではない。大学を卒業しても即戦力ではない。仕事は現場で覚えるのが現状だ。ただ、優秀な学生のほうがよく覚えるからそういう学生が欲しいだけだ。なぜ、そうなるかは、もちろん大学において必要な教育がなされていないからである。
 本当は、企業はマニュアルいらずで自分で判断できる学生が欲しい。いちいち細かい指示を与えなくとも「会社の業績を上げろ」と命じれば、本当にそのような結果を出す社員が欲しい。企業自身は気づいていないかも知れないが、その社員に会っただけで、その会社への信頼が増すような社員が欲しいはずだ。効果はどうあれ、そのために特殊な入社試験を行なう企業も現れてきている。
 すでに社会人の方であるならば、社会に出た時に学校教育で役立ったのはいわゆる「読み・書き・ソロバン」だけであったことを実感なさった方も少なくないことだろう。
 前述したように、学校教育における評価によって“得意である”と思い込んでいたことが勘違いであったことに気づいたり、逆に“苦手である”と感じていたことが、実はちょっとした視点の獲得によって見通しがよくなることに気づいたりしたのではないか。
 人生において最も力と希望のある若い時期に、教育の真実から遠く離れた“迷信”のような環境に若者たちを置いておくことが日本のためになるとは思えない。
 教育は国ごとに行なうものであるから、他国とかかわるあらゆる場面において差が出る。ビジネスシーンでも外交でも、人道援助でもどこでもだ。
 かつて日本のビジネスは“エコノミックアニマル”という言葉を生んだ。日本のビジネスマンたちが尊敬されていたとは思えない言葉である。外交もそうだ。外交は意見が正しいかどうかで決まるのではなく、発言者に対する尊敬の念の占める割合が大きい。これらの根源が教育にもあることは言を待たない。
 教育の最後の目標は、本当のことが分かる力を育てることである。そのためには、義務教育においては真の基礎教育を、その後の教育ではアフォーダンスから学ぶ力を育てることが最重要課題である。そうすればビジネス、政治、法律、教育、医療、芸術、スポーツなど、あらゆる分野に優れた人材が輩出するようになることだろう。


 野村茎一作曲工房
 
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2009年08月21日

気まぐれ雑記帳 2009-08-20 きちんと暮らすということ

 年長の知人が、定年退職後、何もせずに日々手持ちぶさたに暮らしているということを風の便りに聞いた。
 そんなことを話すとカミさんが言った。

「今も昔も忙しかったけど、今はひとつのことで忙しいの。昔はね、いろんなことで忙しかったのよ」

 意味がよく分からなかったのでポカンとしていると、彼女は続けた。

「毎日、薪を割って、井戸水を汲み上げないとお風呂にも入れなかったの。料理も洗濯も自分の手でやらなくちゃきちんと生きていけなかったの。だから、昔はきちんと暮らしていれば趣味なんかなくても“何もしない”なんて言われなかったのよ」

 ようやく呑み込めた。まさにカミさんの言うとおりだ。会社を辞めたらすることがないというのも当然と言えば当然だ。組織というのは分業があって初めて成立する。分業の一部を担う人は、組織を離れたら力を発揮できなくなる。
 高島野十郎という画家は、誰もが電気や水道、ガスなどのインフラを当たり前のように享受する時代に生きながら、それらを拒み、ひとり自給自足の生活を選択して創作活動を続けた。“きちんと暮らし”たかったのだ、と思った。
 晴耕雨読の“悠々自適の暮らし”というもの、まさに同じようなきちんとした暮らしだろう。決して何もしないわけではない。
 私自身は何の組織にも所属していないし一人で完結する仕事をしているのだから、きちんと暮らせるはずだ。おまけに家事全般の技術もカミさんから叩き込まれているではないか。
 私の中に、ちょっとしたパラダイムシフトがもたらされた夜の出来事だった。


 野村茎一作曲工房
 
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2009年08月15日

気まぐれ雑記帳 2009-08-15 学校教育私見 その1


 ※これは2009年6月18日に書いた未発表コラムを一部加筆修正したものです。

 学校教育には様々な問題があるけれども、問題を突き詰めていけば、解決しなければならないことは少ししかない。

1.真の基礎学力を育てる。
2.家庭教育には口出ししない。
3.リスクマネージメント教育を行なう

 この3つだけである。先に、2番目に挙げた「家庭教育に口出ししない」から説明したほうが分かりやすい。まず、当たり前のことだが虐待やネグレクトは教育ではなく犯罪なので、これには徹底的に関わって未然に防ぐ。もっとも発見しやすいのは隣人と学校だからである。しかし(給食の是非は別として)ベジタリアンの家庭に育ったり、宗教上の理由で肉食を拒否する子どもに給食の完食を強要してはならない。アレルギーの子どもには自前の弁当を認める。また、インドのビンディ(額の赤い化粧)のような意味合いの一種の身だしなみを一律に禁止したり、公平の名のもとに全員が同じでなければならないという考え方を押しつけてはならない。ピアスをしようが髪を染めようが、法律違反、もしくは迷惑行為(判断が難しいが)でなければなんでもありだ。ただし、ここで大切なことは、法律違反や明らかな迷惑行為に対しては、徹底、かつ厳格に対応しなければならない。それが教育機関というものである。今日は詳しくは述べないが、このような多様性を認めるという環境が整うだけで、かなりの割合の障害を持つ子どもたちが、ふつうに学校で学べるようになる。均一性を求めるからこそ傷害を持つ子どもたちが排除される。障害者と接する機会が減れば減るほど彼らに対する理解度が低くなり「健常者 対 障害者」のような無意味な図式が生まれる。健常者だって常に障害者となる可能性があるのだから、その程度の想像力もない健常者を育ててしまうのが今の社会であり、教育なのだ。これについて書き始めると長くなるし、中途半端になる可能性も高いので、機会をあらためることにして先を急ぐ。
 次いで基礎学力教育である。
 基礎学力というのは自ら学べる力のことである。
 自ら学べる力というのは、アフォーダンスを探索できる能力のことである。
 アフォーダンスというのは、それを観察したり調べることによってそこから情報を得られる総体のことであって、たとえば“どんぐり”について書かれた百科事典の一項目よりも、実際のどんぐりのアフォーダンスの方が遥かに多い(無限倍の?)情報量を含んでいる。この言葉(つまり概念)を私に教えてくださったのはレッスンに通ってくださっている高綱先生で、ひょっとしたら、私が彼女に教えを乞わなければならないのに、たまたま先に生まれてきたために先生づらをしているだけなのかも知れないことを彼女自身のアフォーダンスが私にそう告げている。
 だから“教科書で学ぶ”ことはあっても“教科書を学ぶ”意味はない。言い換えると、教師は“教科書で教える”べきであって“教科書を教え”てはならない。
 私がしばしば例に出すのが家庭科における調理実習の献立である。料理のレパートリーを増やすことは基礎学力にはならない。料理の基礎は「どこで火を止めるか」と「塩加減」の2つである。だから自身の水加減と火加減で「ご飯を炊く」「味噌汁を作る」という2つをきちんと体得すれば、その経験は他の料理すべてに応用が利く。この2つを押さえておけば、レパートリーが増えても常に一定水準の料理として仕上がることだろう。それがなければうまくいったりいかなかったりということになる。なぜなら、その原因を把握していないからである。国語も、数学も、理科全般も、歴史も、地理も、どれも同じことである。実技教科はクオリアが入り込んでくるので、必要なクオリアを持つ教師を養成することが先決である。
 年齢別一斉授業が行えるのは小学校低学年までだろう。そこから先は「進級・落第制度」ではなく、学習期間を自由にすることが必要だが、これについても別の機会に書く。
 3番目のリスクマネージメント教育というのは、犯罪に巻き込まれたり、事故に遭ったり、病気になったり、あるいは破産したりという危険を減らすための教育だが、詐欺師の手口を教えるというようなことではない。将来を考える力を育てることである。
 高度経済成長期には公務員は安月給の代名詞だった。民間の給与水準の推移に、公務員給与に関する条例が追いついていけなかったことが原因である。ところがバブル経済崩壊後には公務員を目指す人が増えた。これも公務員給与に関する条例が追いついていかないことが原因である。証券会社の社員といえば高給取りの代名詞であり、エリートたちの職場だった。ところが今では、そうとも言えなくなってきた。それどころか、かつては「結婚するならサラリーマン」という画一的な価値観の時代もあったし、女性は24歳までに結婚しないと「行き遅れる」(クリスマスケーキ説)という時代もあった。そんな時代に作られた厚生年金制度が時代に合わせて改革されることもなく続いてきたために、被扶養者である妻がパートに出ても年収を99万円以下に抑えて働くなどの馬鹿げた慣行がまかり通ったり、収めた年金の行方が分からなくなったり、ついには正しく計算された年金額であっても生活が成り立たない金額(生活保護給付以下)であったりすることになった。全てを他人任せにはできないということを歴史は指し示している。
 リスクマネージメントとは、大局的に見れば自らの将来を予測できることであり、実際には予測は外れるものなので、その都度、軌道修正できる力のことである。そのためには最終的には自分自身の揺るぎない価値観・人生観を持つことが最大のリスク・マネージメントということになるだろう。

 ここで述べた3点を学校教育の柱とすれば、学校の役割がどんどん膨張を続けている現在の状況も改善されることだろう。そもそも学校が家庭の役割を果たしてはならないし、果たせるわけがない。学校は教育の専門機関であり、家庭ではできないことを行なってこそ価値がある。また、家庭の教育機能も多少なりとも回復することだろう。

 その2へ続く


 野村茎一作曲工房
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2009年08月08日

気まぐれ雑記帳 2009-08-08 海も暮れきる


 ウラノメトリア第2巻アルファがようやく完成した。“ウラノメトリア”とは、もともとはドイツのヨハン・バイエルが1603年に刊行した世界初の全天恒星図の名称。恒星にアルファ、ベータ、ガンマという識別文字を与えたのもこの星図である。というわけで、作曲家のフェルディナント・バイエル(綴りは異なる)と、小宇宙を意味する「ミクロコスモス」(バルトーク)にあやかってピアノメソードをウラノメトリア」とした。
 アルファはメソードとしての性格が強く、ベータは練習曲集、もしガンマが作られるとしたら連弾曲集や補遺となることだろう。
 さて、今回刊行したアルファの第47番は「海も暮れきる」というタイトルである。これは俳人、尾崎放哉(1885-1926)の代表句のひとつ。このタイトルと意味について、小学校高学年から中学生くらいの子どもたちと話し合うと面白い。
 
 「海も暮れきる」と言った作者は、その時何をしていたか。もちろん、海を見ていた。
 では、その前には何をしていたか。やはり海を見ていたに違いない。ずっと暮れゆく海を見ていたのだろう。
 では、なぜ海を見ていたのか。暇だったからと答えた子どもは一人もいなかった。「夕焼けがきれいだったから」「感動したから」という答だけ。このあたりで、子どもたちから勝手に言葉が出てくる。
「こんな短い言葉なのに、いろんなことが分かっちゃうね。オザキホーサイっていう人はすごいね、せんせい」
「どうして海に来てたのかな。一人だったんだよね、きっと」
「最初、俳句だって言われても分かんなかったけど、やっぱり俳句。五七五の俳句よりすごいね。五七五なら誰だってそれらしいのが作れるけど、これは無理。無理だよ」
「海“も”だから、自分も暮れきっていたのかも。それとも空が暮れて、海も暮れきったのか・・・」
 7音6文字の中のさまざまな物語。

 その後、尾崎放哉の生涯をかいつまんで話す。「一高東大」という昔のエリートコースを歩んできた彼が社会に出てからその生活になじめず(酒癖が悪かったという)、家族も仕事も捨てて、最後は小豆島の荒れた寺の孤独な堂守として人生を終えるまで。

 優れた楽譜は音の数よりも多くを語る。単なるドレドレという音並びにさえ音楽美が隠れていて、それを読み解いた時の驚きは「海も暮れきる」と比較できる体験だろう。

 野村茎一作曲工房
 
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2009年07月26日

音楽コラム 2009-07-26 皆さんの質問にお答えして

 
 今までに皆さんからいろいろなご質問を頂き、その都度、レッスンやメールでお答えしてきました。なかでも最も多い質問が、平たくまとめて言うと「どのように作曲するのですか?」というものだった。
 さらに細かく書くと

1.メロディーと伴奏(和声づけ)は別々に思いつくのですか、同時ですか?
2.インスピレーションは空から降ってくるのですか、それとも内側から湧き出てくるのですか?
3.曲は、まず設計するのですか、それとも思いついた曲を後で形式を整えるのですか?
4.調性はどのように決定するのですか?
5.音楽理論を勉強することとと作曲することは別のことであるように思うのですが、どうしたら作曲できるようになるのですか?

 実は、質問を全部は覚えていないので多少違っているかも知れないが、おおよそこのような内容が多かったと思う。
 私は、それらにひとつひとつ答えてきたのだが、今日、急に“質問の意味”が分かった。過去の私の回答は的外れであったかも知れないので、今日はお詫びとともに訂正させていただきます。
 
 まず“私の”大前提。
「全ての芸術は事実から乖離(かいり)しては成り立たない」
 ここからスタートしたいと思う。芸術ではないが、生命は最も巧妙なからくりであり、必要な機能が全てが正しく働かないと“生命という現象”は継続しない。音楽も似たようなところがあるだろう。
 私は質問の「メロディーと伴奏」の意味を勘違いしていたかも知れない。楽譜に書き留める時に便宜上パートを分けたり、ピアノなら右手・左手のどちらで弾くかという分業をしなければならないが、音楽を思いついた時、メロディーとか伴奏という区別はないことが多い。それどころか、音楽を発想する時にメロディーも和声も後回しである。そんなものは案外些細なことで、大切なのは、その音楽がもたらす私たちへの影響である。誰もがそれについてうまく言えないので「わあ、いい曲!」と表現する“それ”である。だから“それ”のことしか考えない。
 “それ”を音で表現するために、私の中で全てが繋がってまとまるのを待つ。ボケっと待つのではない。植物から澱粉を取り出すために細かく砕いて水に晒して沈殿を待つ、というようにきちんと手順を踏んでから待つ。その手順というのは物や情報の整理と似ている。膨大な量の荷物や情報をいきなり整理しようと思ってもできない。まず、何があるのか知ることが先決で、ひととおり分かったところで頭の中でそれらの情報が熟成するのを待つ。すると、ある時、全てが一連の情報として繋がった全体像が見えてくる。そうなってから整理すれば迷いがなく、その時の基準が後で役立つ情報となる。
 さて“それ”がはっきりしてきたら、必要な音の群れは自動的に生成される面がある。これは恣意的にやっても駄目。だから「曲が空から降ってくる」というような伝説(誤りとは言えないかも知れないが、説明不足)が生まれるのだろう。
 最初に述べたように、音楽には科学的側面(事実との整合性という意味で)がある。よって、全ての音の連なりが音楽的生命を持つように組み合わされなければならないので、答えはほぼひと通りしかないと言えるくらい。もし、目指す“それ”が凄い力を持っていれば、その解となる音並びの印象は強烈なものになる。それは聴くひとの心に楔(くさび)を打ち込んでくるような存在感があり、選択的に心に残る。ベートーヴェンの“月光ソナタ”第一楽章は、音並びは単なるミラド(嬰ハ短調読み)の羅列だけれど、ミラドから発想したのではあれだけ強い印象にはならない。発想の根本には“それ”があったからこそのミラドなのである。
 インスピレーションは何もないところから降ってくることはない。歯車の役割と組み合わせを考え続けていると、ある時、求める動きをさせるにはどうすればよいかが分かってくるのと似ている。
 だから、曲の形式も調性も自ずから定まってくる。楽式論などに頼る必要もないくらい、動機や主題はすでに各細胞のDNAのように全体像の情報を含んでいるものだ。こちらの勝手な思い込みで無理やり音楽を構成していってもどこかに無理が出ることだろう。作曲家は、科学者が本当はどうなっているのかを突き止めようとするのと同じように、音楽における“それ”の本当の正体を追求するということなのだろう。
 むしろ分かりにくくなってしまった方もいらっしゃることだろうが「そういうことか!」と閃いてくださった方もあるのではないかと秘かに期待。
 過去、ご質問いただいた方々に、ひとつひとつの問題として個別に答えてしまいましたが、どれも答えはひとつでした。お詫びするとともに訂正させていただきます。


 野村茎一作曲工房
 
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2009年07月10日

気まぐれ雑記帳 2009-07-10 KJ法-改-ふたたび

 
 気がついたら2カ月も音楽コラムをアップロードしていなかった。フォルダを確認すると、書き上げたものの推敲が終わっていない、あるいはまもなく書き上がる原稿がおよそ10本あった。ウラノメトリアが最優先事項として頭の中にあって、音楽コラムは優先順位が下がっていたのだろう。
 昨夜、川喜田二郎先生の訃報を知り、お目にかかる機会がなかったことを大変残念に思った。音楽コラムを始めた頃にKJ法について書いた気もするが、おそらく当時の説明はヘタクソで的確に要点を語れず訳の分からないものだったことだろう。それにコラム自体がアーカイブにも入っていないかも知れない。というわけで再びKJ法について書く。ただし、ここに書くのは野村式KJ法“改”であって、本来のKJ法についてではない。それについてお知りになりたければ他のサイトをあたるか、KJ法の講習会に行っていただきたい。ただし、20年くらい前だとは思うが(川喜田先生とは何の関係もないと思われる)ビジネス研修団体が主催するKJ法講習会には、参加費用が100万円などというものもあって驚いたものだ。おそらく会社の経営者やエグゼクティヴを対象としていて、KJ法のマスターは、そのくらい支払ってもペイすると考えられていたのだろう。今では数千円というリーズナブルな参加費で講習会が開かれている(はずである)。
 KJ法は情報を関連付けて整理するための便法である。やり方は簡単だが奥は深い。乱暴な書き方をすれば、カードに情報を書き込んでそこから関連するものを選び出していき、立体的な意味付けにまで到達すするというものだ。今の説明がどのくらい乱暴であるかというと「ピアノ演奏とは楽譜に記された音を指で弾いて音をだせばよい」と同じくらいだ。だから、こんな説明で分かった気になってもらっては困る。
 とは言うものの、KJ法を理解したものとして書くと(それこそ乱暴な話だが)、その手順に“あること”を加味すると、一変して「天才の思考の一部のスローモーな追体験」となる。スローモーであろうが何だろうが「天才を追体験」できるのだ。こんなすごいことはない。
 では、そのあることとは何か。一言で言うならば「事実の把握」である。これがなければ情報はゴミだらけとなる。例を挙げよう。サモスのアリスタルコス(紀元前310-230頃)の「太陽中心説(人類初の地動説)」到達までの道のりである。
 日食によって、太陽は月よりも遠くにあることが確認できる(第1の事実)。では、どのくらい遠いのだろうか(到達すべき事実)。そのために必要な情報は2つ。ひとつは半月の輝面は太陽の方向を向いている。半月は太陽-月-地球が為す角が90度、つまりその配置が直角三角形となった時のみ起こる現象である(第2の事実)。ここまで分かれば、第3の事実を確認すれば「到達すべき事実」が明らかとなる。それは、日没時における半月の実際の位置である。月の公転周期は地球の自転周期の整数倍ではないので、月が幾何学的に正しい半月を迎えた時に日没を迎える可能性は低く測定には誤差が出るが(実際の観測方法は分かっていない)、日没時の半月は太陽から87度離れていると結論した。このことから、アリスタルコスは太陽は月よりも少なくとも20倍遠くにあり、その大きさも20倍以上であると結論した。
 ここで行われているもっとも重要な行為(判断)は“情報の精選”である。KJ法“改”の要(かなめ)は、そこにある。
 もうひとつ例を挙げる。レオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」である。
 レオナルドが前提とした事実は大きなものが2つ。ひとつは「世界は神によって創造されたので、絵を描くということは神の行ないを描くことに等しい。よって誤りがあってはならない」。もうひとつは「神の行ないには正当な理由がある」。ここでいう正当な理由とは「人類の中でもっとも聡明な女性をイエスの母として選び、それを伝える使者としてもっともふさわしい天使にガブリエルを選んだ」というものである。
 彼は、誰も見たことのない受胎告知の場面を描くにあたってマリアを人工物(建築物)側に、ガブリエルを神の創造物たる自然を背景に描いて立場の違いを明確にした。レオナルドは、まず“神の行ない”を徹底的に観察した。近景を疑似長方形のフレームとして考えると、それを徐々に遠ざけていけば最後は点となって消失する。これが幾何学的遠近法(パースペクティヴ)の概要である。幾何学的遠近法理論の最初の確立者はレオナルドではないが、彼の果たした功績は絵画史上極めて大きい。さらに、彼は空気の不透明度による距離感の差を空気遠近法として表現した。幾何学的遠近法が適用できない遠景などの表現には不可欠な技法である。また影(shadow)と陰(shade)によるキアスクーロ技法によってマリアの書見台の台座の立体感をはじめ、さまざまな3次元的要素を明確に描き出した。ひとつめの大前提に基づく作画はこのようにして行なわれた。
 そして、実際に観察することが不可能な受胎告知の場面では、人に対して跪(ひざまず)くはずのない“跪く天使ガブリエル”を描き、マリアが自らが神の子を宿していることを直感し、運命を受け入れる様子を明確にしている。数多く描かれた受胎告知の中でも傑出した場面である。受胎告知が実際にあったことであるとはキリスト教徒以外には考えにくいが、もしあったとするならばこのようであったと受容できる。
 このような結果をもたらしたのは、レオナルドが選びだした前提が事実に基づくものだったからにほかならない。この時、レオナルドは20歳だった。
 天才とは事実の把握に長けることでもあるのだ。私はオリジナルのKJ法を熟知しているわけではないのだが、情報の精選におけるいくつかの厳しい条件、それはたとえ事実と齟齬がなかったとしても、ヒエラルキー(ディレクトリのような階層的順位)の最上位だけを選び抜き、その後、初めてそれに関連する下位のヒエラルキーにおける情報の取捨選択を行なうという順序を加えたものがKJ法-改-である。
 まさに、私はこの方法で作曲していると言って間違いない。
 しかし、なんの説明にもなっていないのだ。なぜなら作曲する上でのヒエラルキーの最上位に来るのは“ドレドレ感”だからである。これは、クオリアであって説明ができない。不思議なことに録音では伝わらない。いま、このコラムを読む作曲工房関係者には“ひしひしと”伝わっていることと思うのだが、ピアノでただのドレミファソラシドという音並びを弾くにあたっても“ドレドレ感”(ドレドレ感 < ペリオーデ ≠ フレーズ)なしでは話にならない。全く話にならないどころか、両者の間には音楽的共通点を見いだすことは難しいかも知れない。
 レオナルドやベルニーニ、モネやワイエスにも美術的な意味における“ドレドレ感”があって、誤りなく必要な情報を選択できたのだろう。
 
 野村茎一作曲工房
posted by tomlin at 14:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 気まぐれ雑記帳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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