レッスンにお見えになる方で音楽史に興味がある人は多い。その大部分は社会人の皆さんで、音大卒であってもまだまだ勉強したりないと考えている。本当のところ、それは“音楽史コンプレックス”なのであって、その原因は、いくら音楽史の書物を読んでも実感として理解できないための困惑が興味に置き換わって見えるのではなだろうか。
大学(一般の大学、音大の区別なく)における音楽史の授業は「教養講座」としての性格が強いように思われる。もちろん、受講する学生側もそのような内容を望んでいる(音楽史の学習をそのようなものだと思い込んでいる)という事情も影響していることだろう。
歴史とは「人々の考え方の変化が出来事として現れた」という観点から時代を捉えるものである(私のレッスンにおける歴史の定義)。音楽史の場合にも「人々の音楽に対する考え方の変化」を捉えることから始まる。つまり、その時代の人になってみることが理解に役立つ。
昨日は音楽史の話題が出たので「貝塚」を例に説明した。歴史の授業では、貝塚が「歴史の証拠」として果たした役割について学んだことと思われるが、果たして皆さんに貝塚の実感はあるだろうか。
ここで古代人になって貝塚ユーザーの立場になっていただきたい。とりあえず、住居から貝塚までの望ましい距離はどのくらいだろうか。貝塚は「生ゴミ捨て場」である。近ければ迷惑で、遠ければ不便だ。塵芥車(ゴミ収集車)もやって来ない。これを考えただけで貝塚が現実感をもったのではないか。無人島で一人で暮らしているのであれば、ゴミをどこに捨てようが苦情は一切来ない。しかし、コミュニティが形成されればそうはいかない。それが先ほどの歴史の定義における「人々の・・・」というところにつながる。つまり、ルールの形成である。貝塚は当時のルールであり、これは後世の人々にも伝わる出来事のひとつであり、これを読み解くと歴史となる。
ベートーヴェンは交響曲第3番で、それ以前との交響曲の概念を変えた。しかし、歴史が動くのはベルリオーズやブラームスがベートーヴェン的視点に立った作品を発表して、それが音楽的な流れとなってからである。過去の歴史では、それが社会の潮流にならない限り、一般の人々は自ら判断を下してこなかった。(作曲工房では、自ら判断を下せる人を育てることが目標である)
バッハに至っては、生前は人々を動かすことが少なかったと考えられる。一部の音楽的洞察力の高い人々によって評価されはしたものの、真の音楽的潮流となるのは20世紀も近づいてからである。しかし、今でもバッハの真の理解者(バッハが何を大切であると考えていたのか、つまりバッハの立場に立てる人)は少ないのではないかと感じている。
ショパンは、当時、すぐに有名になった。分かりやすい部分だけが音楽的潮流となり、テンポ・ルバート亜流作曲家が雨後のタケノコのように現れたが、結局彼らは忘れ去られた。ショパンの本質はテンポ・ルバートではなかったからである。ショパンの立場に立つといろいろなことが見えてくるのだが、教養主義的音楽史の多くはその視点を持たない。結局、ショパンでさえ未だその本質が理解されているとは言い難いのではないか。
長くなりそうなので、途中を省略して結尾に入る。
音楽の歴史は20世紀に入ってから価値観が爆発的に多様化する混乱期を迎えた。これを収束させようとしたのがアメリカのジョン・ケージである。実験的前衛音楽が生み出される最大の目的は「音楽の地平線」を見いだすことである。果たしてどこまでが音楽であるのか。その答えのひとつが「4分33秒」である。
今さら説明の必要もないかも知れないが、これは全3楽章からなるピアノ独奏曲だが、楽譜には「第1楽章Tacet、第1楽章Tacet、第1楽章Tacet」と記されている。Tacetとは、オーケストラなどで楽章まるごと、その楽器が休みであることを表す用語で、シンバルなどではむしろ当たり前となっている。ピアニストは、演奏開始とともにピアノの鍵盤蓋を閉めて、4分33秒経過したところで蓋を開けて演奏を終える。
この曲の登場によって、無音さえ音楽であることになった(それを認めた人にとっては)。これを超える音楽的地平線は、私の発想の中にはない。
さらにつけ加えるならば、彼は音楽史上最長の曲も書いている。彼以前の最長記録はエリック・サティのピアノ曲「ヴェクサシオン」で、演奏時間は奏者によって幅はあるものの16〜19時間くらい。それに対してケージのオルガン曲「Organ2/ASLSP(as slow as possible)」の演奏時間は636年。ドイツのハルバーシュタット市の教会で2001年から自動機械によって始まった演奏が終わるのは27世紀。「ヴェクサシオン」が2小節の短いフレーズを840回繰り返すのに対し、「Organ2」は、音と次の音との発音間隔が1年を超えるというもので、繰り返されるわけではない。つまり、人の一生の間に誰もその全曲を聴くことができないというものである。
これらをふざけたパフォーマンスと捉えるか否かは、あなた次第である(私自身は、極めて重要な試みであったと確信している)。
音楽史が、このような方向に進むならば袋小路に入り込むことは疑いの余地がない。ジョン・ケージは見事にそれを示した。袋小路へ向かう分岐点はどこにあったのか。私の音楽史レッスンにおける頂点は、それを解くことにある。
音楽史を実感を伴って学ぼうという志を得たならば、あなたは茫漠たる荒野で道に迷う“プチ音楽教養人”であることから抜け出すことができるだろう。
野村茎一作曲工房