2007年09月18日

音楽コラム2005 新・大作曲家の系譜 第9回 バルトーク(ハンガリー;1881-1945)


 2005年から書き始めて未だ終わらず、前回からも間があいてしまったので、いま一度、私が選んだ音楽史上の大作曲家10人のリストを掲げます。

ジョスカン・デ・プレ(1450/55-1521;フランドル)
ジョヴァンニ・ピエルルイジ・ダ・パレストリーナ(1525?-1594;イタリア)
クラウディオ・モンテヴェルディ(1567-1643;イタリア)

ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685-1750;ドイツ)

ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827;ドイツ)
フランソア・フレデリック・ショパン(1810-1849;ポーランド)
クロード・アシル・ドビュッシー(1862-1918;フランス)

アルノルト・シェーンベルク(1874-1951;ドイツ)
バルトーク・ベーラ(1881-1945;ハンガリー)
イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882-1971;ロシア)

 はじめの3人は黎明期に活躍したバッハを知らない世代。バッハは音楽史上傑出した作曲家。次に来る3人は俗に言うクラシック音楽のジャンルで牽引役を果たした作曲家。最後の3人は伝統の流れの中にありながら過去から脱却した新しい世代の作曲家。

 バルトークの生涯についてはネット検索などで前もってお読みくだされば幸いです。

 「2001年宇宙の旅」(1968)という映画で、スタンリー・キューブリック監督は作曲家のアレックス・ノースに音楽を依頼していたにもかかわらず、実際には音楽のすべてを既成のクラシック音楽に置き換えました。リヒャルト・シュトラウス、ヨハン・シュトラウス、アラム・ハチャトゥリアン、ジェルジ・リゲティらの作品からの選曲は見事で、それらが映画の質を高めたことは間違いありません。(バルトーク作品は入っていません、誤解なきよう)
 その後、映画に使われなかったアレックス・ノース版の音楽がCDで発売になったので幸いにも聴くことができました。それはそれで映画音楽として第一級の見事な作品でした。このような書き方をすると映画音楽がレベルが低いような印象を受けるかもしれませんが、そうではありません。時代と伝統の洗礼を受ける期間がまだ短く、真の評価が定まっていない要素があるということです。それゆえアレックス・ノースに限らず、いかに優れた作曲家であろうと、これだけの様々な個性と戦って勝利することは難しいでしょう。個性だけではなく、数多くの名作のなかから選び抜かれた音楽に対抗するのは誰にとっても困難と言うものかも知れません。
 これをクラシック音楽と伝統音楽(民謡)に置き換えてみると、似たような構図が浮かび上がります。伝統音楽は時代の波に洗われ、風雪に耐えて磨かれ、生き残ってきました。クラシック音楽も書かれた当時はコンテンポラリーな音楽で、その多くは忘れ去られていきました。今、生き残っているのは本当に一部の作曲家たちによる少しの作品だけなのです。生き残る基準は、伝統音楽のレベルに達しているかどうかであったのではないかと私は考えています。
 料理雑誌に毎号掲載されている、現代の料理研究家たちによる新作料理と伝統料理を比べると分かりやすいかも知れません。新作料理は最初おいしいと感じても、繰り返し食べたくなる料理は、そう多くありません。その点、味噌汁などの定番伝統料理は飽きが来ません。伝統料理は素材の扱い、バランス、味付けなどが長い時間をかけて洗練されてきたからではないでしょうか。今でも、人々によってさらに磨きをかけられています。
 バルトークは、音楽仲間のコダーイとともにハンガリーばかりか、様々な国を訪ねては民謡収集にあたりました。それは、ヴォーン=ウィリアムズとホルスト、また別行動ではありましたがパーシー・グレンジャーがイギリス民謡の収集と研究を行なったこととも重なります。
 その成果はバルトークの様々な作品に反映されていますが、中でも特にすぐれているのは「こどものために」というピアノ曲集です。若い頃、私はバルトークの「弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽」や「管弦楽のための協奏曲」に夢中になっていましたが、師からは「こどものために」を研究しなさいとアドヴァイスされました。それからしばらくの間、私は「こどものために」全曲を弾き、なにやら分かった気になっていました。ところが、30年を経た今ごろになってようやく「こどものために」の真の素晴らしさが理解できるようになってきました。存命中には前衛作曲家としての面ばかりが強調して捉えられていたバルトークですが、彼は目新しさを求めた作曲家ではなく、どんなに新しい要素を持っている音楽でも、その中心には伝統音楽の洗練度を求めた作曲家だったのです。これは過去の大作曲家全てに言えることですが、残念ながら目新しさだけに捕らわれてしまった作曲家も少なくありません。
 バルトークのピアノ作品には、しばしば混合拍子や変拍子が見られます。ハンガリー音楽と言うとジプシー音楽を基にした作品を思い浮かべてしまいますが、ハンガリーはマジャール人文化の国です。バルトークはマジャール民謡を研究し、その民謡に含まれる特異な拍子を自分の音楽にも取り入れました。「こどものために」やピアノメソードである「ミクロコスモス」も例外ではありません。混合拍子は5拍子や7拍子のように2拍子や3拍子といった単純拍子の組み合わせによる拍子で、変拍子とは1曲の中で、拍子が変化して使われることを指します(異なる解釈もあります)。バルトークは同じ8分の3+3+2拍子でも「ミクロコスモス」では混合拍子としてそれを1小節に収め(第6巻153番)、「こどものために」では3/8拍子、3/8拍子、2/8拍子というように変拍子表記をしています(第1巻26番)。これも演奏者の年齢や経験までを配慮したバルトークの厳密な表記なのでしょう。近代・現代の作曲家の中には単に奇をてらったとしか思えないようなリズムや拍子を用いている例も見かけますが、バルトークは長い伝統のなかで磨かれてきたリズムや拍子センスによって作曲しているので、それを理解した聴衆には違和感なく聴くことができるでしょう。
 若い頃、私は師から「音楽は、すでに拍子を内包している。だから無理やり変わった拍子の曲にすることはできない」という趣旨の忠告をたびたび受けました。若い頃は変わった拍子の曲にあこがていただけだったのです。その忠告とバルトーク作品は私に拍子の持つ真の力を教えてくれました。私の拍子感を磨くトレーニングは、バルトークと次回のストラヴィンスキーを研究することによって行なわれたことは間違いありません。
 独創的な発想、高い洗練度、考え抜かれた和声、厳密なリズムと拍子、そして高度なポリフォニー、雄大なオーケストレーションと緻密なアンサンブル。バルトークは、どれをとっても音楽史上特筆すべき作曲家であると考えています。

 野村茎一作曲工房
posted by tomlin at 11:37| Comment(0) | TrackBack(2) | 大作曲家の系譜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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