まずお断りしておくが、作曲家はどのような音楽を書こうと責められるべきではない。その曲を演奏しなければ危害を加えるというような脅迫行為に走るのならば別だが、五線紙上に、あるいは見たこともない記譜法によってであろうが何を書いてもよい。美的共感を得られない音楽は受け入れられない運命にあるだけだ。その姿勢を強く主張しておく。
さて、レトロフューチャーというのは古い映画などに見られる「昔の未来」のことである。厳密には全ての未来予測に対して用いるのではなく、すでにその時代が到来したか、いまだ未来であったとしても現実が異なる方向に進んでいることによって、その予測の誤りが明らかな場合に用いるべきだろう。
私は過去に複数の作曲家、あるいは演奏家から「今は実験的前衛音楽として理解不能と言われている曲でも、将来は当たり前になるかも知れない」という未来予測を聞かされた。実は、それにも異論はない。本物ならばそうなって然るべきである。むしろ、本物が認められないということは文化の衰退であって、そうなってはいけない。
今日問題にしたいのはタイトルのとおり、誤った未来予測によるレトロフューチャー音楽である。
作曲家と聴衆の乖離(かいり)は作曲家たちの調性離脱への欲求から始まったと言ってもよいだろう。そのきっかけをワーグナーの「トリスタン和声」とすることが一般的である。ドビュッシーをその始祖とする意見もある。
実際に聴衆や音楽評論家を困惑させたのはシェーンベルクらの新ウィーン楽派による12音技法の登場以後であることに異論はないだろう(シェーンベルク以前に同様の技法を試みた例もあるが、人々に与えた影響という点では遠く及ばない)。
全く新しい種類の音楽の登場は人々に様々な思惑をもたらした。
作曲家たちは、すぐに未来の音楽を思い描いた。折しも科学技術の進歩による大変革の時代であったことも相まって、多くの作曲家が乗り遅れまいと思ったに違いない。
しかし、シェーンベルクらは極めて優れた音楽家たちであった。12音技法を使って作曲しても、それは厳密な意味における“音楽”でなければならなかった。ところが、それを理解できなかった作曲家や評論家は、難解であることが未来の音楽の条件であると勘違いした。勘違いという言葉が不適切であるならば、真理に到達できなかった。それは1980年代の時計のデジタル表示の流行にも似ている。実際の針によるアナログ腕時計は店頭から駆逐され(針を液晶表示するアナログ風デジタルという奇妙な時計はあった)、クルマの計器類までがデジタル表示になった。誰もが未来はデジタル時計であると信じた時期が、短期間にせよあったということだ。その後、ご存知のように時計は再び針式が標準となった。「人々はデジタル表示に飽きた」と書いた識者もいたが、私は人々の感覚が洗練された結果であると考えている。
芸術としての音楽においても、何より重要なのは美的な感覚である。聴衆は曲に共感するというよりは、作曲者の美的感覚に共感すると言えるだろう。仮に難しい理論を使うにしても、それを選択するのは作曲者の美的内面だからである。一般に人々が思っているよりも作曲家というのは頭脳明晰な人が多い。理学博士号を持っている人も少なくない。そのような背景もあってのことか、音楽は複雑な理論によって構築されるようになり、評論家たちの批評をも難しくした。人々が好んで聴くということもないのに、作曲コンクールでは、難解で他の曲との区別もつきにくい音楽が最高賞を獲得した。栄誉を獲得した作曲家も仕事が増えるとは限らなかった。受賞作品から学んだ後続の作曲家たちも、受賞のために後を追った。1970年代頃には現代音楽と言えば、減音程と協和しない響きで彩られた、無個性で同じ表情の音楽を指すようになった。
信じてもらえないかも知れないが、このような音楽は、実は誰にでも書くことができた。ほんの少し図形譜を見ただけの気負い立った中学生が書いた楽譜と、老練な前衛作曲家の作品を区別することが困難であるという例を実際に見てきた。五線紙に記述された定量楽譜でさえ、その内容を深く読み取るためには一生を要するほどの時間がかかるのに、他の記譜法を用いる意味は何であるのか。仮に、新しい記譜法が人々に認められたとしても、現在の定量記譜法ほどまでに洗練されるには長い期間を要するだろう。それも、そこまで人々に情熱を注がせる画期的な記譜法が誕生すればの話である。
もちろん逆の流れもあった。つまり、分かりやすい音楽ほどよいのだという、前衛音楽に対する単純に反動的な立場である。しかし、分かりやすいからと言って、同時に興味深い音楽であるとは限らなかった。
ラヴェルは、プーランクらが台頭してきた時に「私も、とうとう時代遅れになってしまった」と言ったと伝えられている。今、ラヴェルとプーランクを聴き比べると、どちらも優れた作曲家ではあるものの、ラヴェルが一枚上手であると感じざるを得ない。真の美しさには時代遅れなどない。問題は新しさや技法ではない。どちらがより洗練され、美的に高い境地にいるかということに尽きるのである。バッハ以後、誰がその境地に到達し得ただろうか。
発表された当時は人々に拒否反応を起こさせたストラヴィンスキーの“春の祭典”も、今では多くの人々の共感を呼んでいる。だから、難解な実験的前衛音楽も理解される時が来ると思われても無理はない。しかし、人は生まれた時、真っ白の状態なのである。その一生の間に理解できるだけのことしか理解できない。記憶や理解は子孫には受け継がれないからである。実験的前衛音楽の中にも本物があるに違いない。これだけ多くの前衛作曲家が人生を賭けて打ち込んできたのだから、ないと断言するほうがおかしい。
だが、それを理解するには人生は短すぎるのではないか。技法にも様式にも“丁度よさ”があるはずである。そのバランスをとるのも作曲家の力量ではないか。
20世紀中葉からしばらく続いた、いわば“喧騒の時代”を通り過ぎてみると、そこにはレトロフューチャーな音楽の骸(むくろ)が累々と横たわっているように思えて仕方がない。もちろん、冒頭に述べたように作曲家はどのような曲を書いても責められるべきではない。すぐれた聴衆の共感を得られないというだけで、十分責めを負うことになるからである。
21世紀半ばには、20世紀音楽の評価もおのずと固まることだろう。なぜなら、人々の美的記憶に残らない音楽は忘れ去られているだろうからである。
野村茎一作曲工房