2012年01月12日

気まぐれ雑記帳 2012-01-12 地震雲はあるのか



 地震雲について知りたくて検索などでたどり着いた方には申し訳ありませんが、ここで扱うのは、その情報を受け止める人間側の問題です。地震雲についての新たな知見はありませんので、前もってご了承ください。

 「地震雲」という言葉を誰もが1度は聞いたことがあることでしょう。この概念の提唱者は鍵田忠三郎(かきた・ちゅうざぶろう:1922年7月25日 - 1994年10月26日)という奈良市町、および衆議院議員1期を務められた政治家の方です。1980年に「これが地震雲だ-雲はウソをつかない」という本を出版し、人々に知られるきっかけとなりました。
 その後、賛同者が現れ、地震雲のメカニズムについていくつかの仮説も立てられるようになりました。
 そのひとつを紹介すると、地震が起こる前には岩盤が押されて圧縮され、石英などが電荷を生じます。これは圧電効果(ピエゾ電荷)といって、ガスライターやガスコンロなどを点火する時のカチッという音と火花は、ロシェル塩を圧縮した時に生じる電荷を利用したものです。岩盤の圧縮は電磁波を生じ、その電磁波が気体分子をイオンに変え、そのイオンが空気中の水蒸気を凝結させて雲が生じるというものです。
 ここで書いておきますが、私は地震雲が存在するか・しないかと訊かれれば、存在する可能性のほうが高いと答えます。世界の様々な現象は少なからず影響を与え合っているし、論理学的に考えてもないことを証明するのは不可能に近いからです。しかし、「これが地震雲だ」と断言するのはまだ時期尚早であるという印象です。
 今の私に興味があるのは、地震雲の形態が明らかになって、それがどのように人々に伝わり、理解されていくのかということです。天動説も相対論も人々に浸透するまで紆余曲折がありました。しかし、天動説も相対論も実は人々に理解されないまま、浸透してしまった感があります。
 さて、民放テレビの夕方の天気予報番組で男性人気お天気キャスターが「地震雲はありません」と断言していました。その根拠として「気象学者は誰もあると言っていません」ということを挙げていました。これは厳密に言うと「気象学者で地震雲が存在すると考えている人はいない」ということであって、「地震雲の存在の有無」という事実については言及していないことになります(彼の中では、ないことになっていることでしょう)。
 気象学者の方で、地震雲について研究しておられる方はどのくらいいらっしゃるのでしょうか。雲を研究する視点が異なれば、観察上重要なポイントが変わってくるはずです。
 私は作曲家ですから音楽を例にお話しましょう。
 私はソナタ形式の認識についてしばしば言及します。作曲家、たとえばモーツァルトがソナタ形式について詳細に述べた事実を寡聞にして知りません。ソナタ形式について述べるのは作曲者以外のことが多いと思います(一部の作曲家は過去の大作曲家の作品をアナリーゼして、公開しています)。
 一般の解説では古典ソナタ形式について、その多くが「主題提示部(第1主題:主調)(第2主題:属調)(コデッタ)」「展開部(調性に決まりはない)」「再現部(第1主題:主調)(第2主題:主調)(コーダ)」という時系列構造で記述しています。
 これは間違ってはいません。しかし、これは一般に日本では朝食・昼食・夕食を食べます、と言っているようなもので、日本人が何を食べているかとい実態には全く触れていないのと同じです。
 ここでは詳しく書きませんが、モーツァルトの時代から優れた作曲家たちはソナタ形式で重要なことは、もっと別のところにあると考えていました(それについて過去の音楽コラムに書きましたが、どの記事であったかは今すぐわかりません)。
 かなり高名な音楽学者の方のアナリーゼでも聴く側の視点から分析が行われており、発想する側がなにをよりどころにしているか(何を重要であると考えているか)については、ほとんど触れられていません。
 私の作曲の師は常日頃「書物でわかるのは著者の限界だ。だから楽譜から学びなさい」と言っていました。これは厳しい言葉です。「作曲家と同じ視点に立ちなさい」ということと同義だからです。

 私は地震雲について気象学者に問うのはお門違いであると考えます。
 気象学者の中にも地震雲の検証をしようという人がいるかも知れません。そういう人は期待できます。気象学は固体地球物理学ではありませんから、専門外のことを学び直す必要があるかも知れません。それを実行しようという人です。
 逆に地震学者などの個体地球物理学の人も、地震雲を検証しようと思い立ったらやはり気象学や化学を学ぶ必要が出てくるかも知れません。新しい分野に挑戦するには過去の一般論から一度離れる必要があることでしょう。
 そして、最後は観察です。これはレオナルドが述べているように「事実から学べ」が誤らないための基本だからです。「事実は間違えない」のです。事実を見間違えなければ商売は繁盛するし、発明したものも期待どおりに動きます。物事は事実に従うからです。
 観察するということは、その背景の理論を見ることです。
 太陽が昇って、また沈むのを見ると地球のまわりを回っているように見えます。しかし、宇宙から地球を見ると、地球が自転しているためにそう見えることが分かります。また、地球が太陽のまわりを公転しているために四季の星空が変化することも分かります。それらを全て矛盾なく説明できるのが正しい理論ということになり、天動説が誤りであることが分かります。しかし昔の人々は宇宙に視点を移すことができませんでした。 ケプラーは惑星の運行を観察して惑星が日周運動とは逆に動くように見える逆行現象に着目しました。その逆行現象は惑星が惑星を追い越すことによっておこることに気づいたのも、両者がどちらも太陽を焦点のひとつとする楕円軌道を公転しているという理論があったからこそです。理論が、厳密な観察によって得られた「信じるに足る多くの事実を矛盾なく説明」できれば、より強固なものになります。その積み重ねによって人類は徐々に自然や宇宙の真の姿に近づいてきました。

 地震雲の研究者がどれだけ現れるかは分かりません。地震研究にとって地震雲が最も重要であると考える人だけが、その研究者となるからです。どんな分野でも一朝一夕に答えが出るものではないでしょう。地震研究にはさまざまな手法があり、研究者はそれぞれ得意とする分野も方法論も異なるからです。
 ですから、地震雲は誰かによってその理論が解明されるかも知れないし、このまま疑似科学という認識のまま終わってしまう可能性もあるのです。誰かがその問題に全身全霊を傾けなければ、解明・証明できないというのは、過去の全ての科学上の業績と同じです。

 そして、これは音楽でも全く同じことなのです。


 野村茎一作曲工房

 
posted by tomlin at 16:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 気まぐれ雑記帳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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