これは作曲工房で作曲を学ぶ人へのメッセージです。しかし、作曲を学ぶ全ての人にヒントとなることが含まれているかも知れません。ですから読者を限定することはしません。
私は作曲課題として「大楽節」を作ることを求めます。8小節になることが多いのですが、他の小節数のものも存在します。
8小節というと短いのものですが、決して小品を求めているわけではありません。大楽節を書けない人がそれ以上大きな曲を書けるとは思えませんから、小品であれ大作であれ、大楽節は全ての出発点です。もし、大楽節を書くことが難しいと感じたならば(実際に難しいものですが)、初期バロック時代からラヴェルくらいまでの楽譜を片っ端から読みなおしてみてください。メロディーを追うだけではなく、そこに共通するルールやセンスを見出してください。
どの曲を参考にすればよいのか迷うこともあるでしょう。もし、音楽の才能とは何かと問われれば、私は「優れた曲から学ぶ力」であると答えます。
ですから、どのような曲を見出すかという事自体が作曲の重要なトレーニングとなります。
携帯型音楽プレーヤーの時代になってから、聴く音楽の幅が狭くなっているかも知れません。私は、若い頃に長い間FM放送から流れてくるありとあらゆる音楽に触れるという幸運に恵まれました。
若い皆さん方のほうが、私よりもずっと多くの音楽情報にアクセスできる環境にあると思います。にもかかわらずわずか9曲(番号付きに限れば)しかないベートーヴェンの交響曲全曲を聴いたことがある人は意外にも少ないのではないでしょうか。
脳科学者の茂木健一郎さんは「音楽を聴くだけで頭が良くなる」と断言なさっています。私もそのとおりだと思います。
仮にシベリウスの7つの交響曲(前衛的なところなどない名曲揃いです)を聴いてみてください。いわゆる“ながら聴き”ではなく、7つの交響曲が区別できる程度までには聴き込みます。ひとつひとつの動機、経過句などをたどって聴いていくにはそれ相当の集中力が必要なはずです。これによって得られるのは知識だけではありません。むしろ知識以外のものです。
このトレーニングを経るとあなたにはどのような能力が芽生えるでしょうか。箇条書きにしても1冊のノートには収まりきれないほどの力が加わるはずです。
しかし、シベリウスの音楽にあなたが必要とする音楽の要素が全て揃っているわけではありませんから、他の作曲家からも学ぶことになります。
その時、どの作曲家を選ぶかであなたが学ぶものは大きく変わってくることでしょう。それで、優れた音楽を選び抜く力が“音楽の才能”であると書いたのです。
もっとも優れた音楽のひとつがバッハ晩年の「フーガの技法」ですが、それ以前に基本的なトレーニングを積んでおかないとメロディーを追うだけで終わってしまうかも知れません。
数学が加減乗除から順を追って学んでいくように、音楽にも経るべき手順があります。
さらに付け加えるならば、レオナルドが看破したように、人類に共通する美の基盤は“自然美”です。ドビュッシーも「過去のスコアを研究するよりも海を眺めていたほうがずっと勉強になる」と言っていますが、それは過去のスコアを研究しつくしたドビュッシーだからこそ出た言葉でしょう。
私達も“自然美と矛盾しない音楽”とはどういうものであるか理解する必要があるとは思いますが、それはこのコラムの目的を超えているのでまたの機会にしましょう。
野村茎一作曲工房