2009年08月23日

音楽コラム 2009-08-23(05-14) 自らの疑問に答える

  
 もし「私たちが一生の間に何をすればよいのか」と問われれば「自らの疑問に答えること」と回答するだろう。
 作曲するという行為を例にとれば、どういう曲を書けばよいのかは誰にも訊ねることができない。自らに問うしかなく、当然のことながら自ら答えるしかない。これを少しずつ広げて考えれば、どのように生きるか、あるいは今日なにをすべきかということまで、答えは自ら出すしかないという単純な原理がお分かりいただけることだろう。
 ところが、楽譜の読み書きのように人間が決めた共通ルールは他者から情報を得なければならない。また種々の実験によって明らかにされた物理法則などは、自らが全てを追試したり追体験することは有限の人生においては不可能なので、他者から学ぶことのほうが合理性がある。
 その区別は明解であるように思えて、その境界線ははっきりしない。
 たとえば楽式構造としてのソナタ形式は、他者から学ぶべき要素と独自性を発揮すべき要素が渾然一体となっている。ベートーヴェンのソナタ形式は見方によっては全て同じ法則に則っていると考えることもできるし、全てが異なるとも言える。ソナタ形式というのは、多少乱暴な言い方をすれば一般化された「人間心理の図式化」であり、ソナタ形式の曲を書くということは形式に則ることではなく、作曲者自身の心理の具体化である。だから優れた作曲家が先入観に囚われずに、心の耳に忠実に書けば全て異なって当然であると言える。
 「勉強すれば作曲できる」という考え方には無理があるが「勉強しなければ作曲できない」という言葉は当たっている。しかし、勉強しただけでは作曲のスタートラインに立つこともできない。作曲のスタートラインに立つためには、自分の中に答えなければならない疑問が必要だからである。その答えが“インスピレーション”である。
 内なる疑問を持ち、なおかつそれに答えようとしない者にはインスピレーションは訪れない。
 過去の偉大な哲学者、宗教者のみならず、偉人達の残した言葉は、全て彼ら自身の内なる疑問に対する答えである。それが広く普遍性を持つものであれば格言と呼ばれるようになる。
 それを絵によって答える者が画家であり、音楽作品で答える者が作曲家である。

※これは2009年5月14日に書いたコラムを加筆修正したものです。

 野村茎一作曲工房
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2009年08月22日

気まぐれ雑記帳 2009-08-17 学校教育私見 その2

 前回は学校が果たすべき役割、および学校教育に対する社会の認識がどうあるべきかについての私見を述べた。
 そして、その上に立脚していよいよ本題に入る。
 ずっと昔のことになるが、ある人が「漢文が得意だった」と言った。それを聞いて気づいたことが、次のようなことである。
 その人が「漢文が得意であった」ことの意味は、他教科に比べて「漢文」のテストで得点することに長けていたということに他ならない。なぜなら彼は漢詩ひとつ作ったことはないばかりか、教科書に出てきたもの以外の漢詩をひとつも知らなかったからである。もちろん、授業が終わって漢詩とも縁が切れた。つまり、得意出会ったという割には、好きであったわけでもないということだ。
 そもそも、学校教育における成績というものは、学力考査の出題者の意識の中にある設問に対して答えた結果である。それも問題には出題しやすい(採点しやすい)ものとしにくいものがあり、どうしても出題しやすい問題に偏って学力が測られる。それで本来の学力が分かるとは限らない。それでもなんとかなるのは順位づけをすれば済む入試のような場面だけだろう。学校では学力を測りたいのであり、生徒達に順位をつけたいわけではないのは言うまでもない。
 非常にレベルの高い話をしてしまうと、優れた問題というのは難しい問題を指すのではない。また、難しい問題を解いた生徒・学生を優秀であると判断する根拠は、説明しようとすると意外に難しいはずだ。ここまで読んで、学力を測るための設問が非常に難しいことに、すでに気づかれた方もいらっしゃることだろう。
 息子の高校時代の試験問題を見せてもらったことがあるが、どの教科も概ね、授業を真面目に聞いて、言われたことを覚えたかどうかを確認するための問題が大部分を占めていた。もう、覚えてはいないが私の時もきっとそうであったのだろうと思う。
 習っていないことを出題したら問題になるだろうが、本来の考査は“習っていない問題”によって行われてもよいはずだ。
 海外留学した高校生が、歴史のテストは教科書も資料集も持ち込み可(おそらくカンニングさえ可)であることに驚いたと書き記していたのを読んだことがある。設問は歴史観を問うものであり、歴史学者になったつもりにならなければ答えられないようなものであり、勉強するということがどういうことであるのかその時悟ったというような内容だった。
 音楽で言うならば、難曲を演奏することもひとつの能力であるけれども、真に重要な力は音楽の理解である。私のところにはピアノ指導者の方々がレッスンにお見えになられている。音大で学んだにも関わらず、なぜ私のような無名の作曲家の門を叩く必要があるのか。それは、音大でさえ、小学校から連綿と連なる学校教育の範疇から外れておらず、ピアノが弾ければピアノ演奏の能力があると判断されてしまうことに気づいた人たちがいるからである。
 多くの企業は、おそらく大学における授業内容をあまり重視していないだろう。どの大学を卒業したかということではなく、どの大学に入学できたかということのほうが重要ななずだ。つまり、大学はどの人の学習能力を測るための装置といっても過言ではない。大学を卒業しても即戦力ではない。仕事は現場で覚えるのが現状だ。ただ、優秀な学生のほうがよく覚えるからそういう学生が欲しいだけだ。なぜ、そうなるかは、もちろん大学において必要な教育がなされていないからである。
 本当は、企業はマニュアルいらずで自分で判断できる学生が欲しい。いちいち細かい指示を与えなくとも「会社の業績を上げろ」と命じれば、本当にそのような結果を出す社員が欲しい。企業自身は気づいていないかも知れないが、その社員に会っただけで、その会社への信頼が増すような社員が欲しいはずだ。効果はどうあれ、そのために特殊な入社試験を行なう企業も現れてきている。
 すでに社会人の方であるならば、社会に出た時に学校教育で役立ったのはいわゆる「読み・書き・ソロバン」だけであったことを実感なさった方も少なくないことだろう。
 前述したように、学校教育における評価によって“得意である”と思い込んでいたことが勘違いであったことに気づいたり、逆に“苦手である”と感じていたことが、実はちょっとした視点の獲得によって見通しがよくなることに気づいたりしたのではないか。
 人生において最も力と希望のある若い時期に、教育の真実から遠く離れた“迷信”のような環境に若者たちを置いておくことが日本のためになるとは思えない。
 教育は国ごとに行なうものであるから、他国とかかわるあらゆる場面において差が出る。ビジネスシーンでも外交でも、人道援助でもどこでもだ。
 かつて日本のビジネスは“エコノミックアニマル”という言葉を生んだ。日本のビジネスマンたちが尊敬されていたとは思えない言葉である。外交もそうだ。外交は意見が正しいかどうかで決まるのではなく、発言者に対する尊敬の念の占める割合が大きい。これらの根源が教育にもあることは言を待たない。
 教育の最後の目標は、本当のことが分かる力を育てることである。そのためには、義務教育においては真の基礎教育を、その後の教育ではアフォーダンスから学ぶ力を育てることが最重要課題である。そうすればビジネス、政治、法律、教育、医療、芸術、スポーツなど、あらゆる分野に優れた人材が輩出するようになることだろう。


 野村茎一作曲工房
 
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2009年08月21日

気まぐれ雑記帳 2009-08-20 きちんと暮らすということ

 年長の知人が、定年退職後、何もせずに日々手持ちぶさたに暮らしているということを風の便りに聞いた。
 そんなことを話すとカミさんが言った。

「今も昔も忙しかったけど、今はひとつのことで忙しいの。昔はね、いろんなことで忙しかったのよ」

 意味がよく分からなかったのでポカンとしていると、彼女は続けた。

「毎日、薪を割って、井戸水を汲み上げないとお風呂にも入れなかったの。料理も洗濯も自分の手でやらなくちゃきちんと生きていけなかったの。だから、昔はきちんと暮らしていれば趣味なんかなくても“何もしない”なんて言われなかったのよ」

 ようやく呑み込めた。まさにカミさんの言うとおりだ。会社を辞めたらすることがないというのも当然と言えば当然だ。組織というのは分業があって初めて成立する。分業の一部を担う人は、組織を離れたら力を発揮できなくなる。
 高島野十郎という画家は、誰もが電気や水道、ガスなどのインフラを当たり前のように享受する時代に生きながら、それらを拒み、ひとり自給自足の生活を選択して創作活動を続けた。“きちんと暮らし”たかったのだ、と思った。
 晴耕雨読の“悠々自適の暮らし”というもの、まさに同じようなきちんとした暮らしだろう。決して何もしないわけではない。
 私自身は何の組織にも所属していないし一人で完結する仕事をしているのだから、きちんと暮らせるはずだ。おまけに家事全般の技術もカミさんから叩き込まれているではないか。
 私の中に、ちょっとしたパラダイムシフトがもたらされた夜の出来事だった。


 野村茎一作曲工房
 
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2009年08月15日

気まぐれ雑記帳 2009-08-15 学校教育私見 その1


 ※これは2009年6月18日に書いた未発表コラムを一部加筆修正したものです。

 学校教育には様々な問題があるけれども、問題を突き詰めていけば、解決しなければならないことは少ししかない。

1.真の基礎学力を育てる。
2.家庭教育には口出ししない。
3.リスクマネージメント教育を行なう

 この3つだけである。先に、2番目に挙げた「家庭教育に口出ししない」から説明したほうが分かりやすい。まず、当たり前のことだが虐待やネグレクトは教育ではなく犯罪なので、これには徹底的に関わって未然に防ぐ。もっとも発見しやすいのは隣人と学校だからである。しかし(給食の是非は別として)ベジタリアンの家庭に育ったり、宗教上の理由で肉食を拒否する子どもに給食の完食を強要してはならない。アレルギーの子どもには自前の弁当を認める。また、インドのビンディ(額の赤い化粧)のような意味合いの一種の身だしなみを一律に禁止したり、公平の名のもとに全員が同じでなければならないという考え方を押しつけてはならない。ピアスをしようが髪を染めようが、法律違反、もしくは迷惑行為(判断が難しいが)でなければなんでもありだ。ただし、ここで大切なことは、法律違反や明らかな迷惑行為に対しては、徹底、かつ厳格に対応しなければならない。それが教育機関というものである。今日は詳しくは述べないが、このような多様性を認めるという環境が整うだけで、かなりの割合の障害を持つ子どもたちが、ふつうに学校で学べるようになる。均一性を求めるからこそ傷害を持つ子どもたちが排除される。障害者と接する機会が減れば減るほど彼らに対する理解度が低くなり「健常者 対 障害者」のような無意味な図式が生まれる。健常者だって常に障害者となる可能性があるのだから、その程度の想像力もない健常者を育ててしまうのが今の社会であり、教育なのだ。これについて書き始めると長くなるし、中途半端になる可能性も高いので、機会をあらためることにして先を急ぐ。
 次いで基礎学力教育である。
 基礎学力というのは自ら学べる力のことである。
 自ら学べる力というのは、アフォーダンスを探索できる能力のことである。
 アフォーダンスというのは、それを観察したり調べることによってそこから情報を得られる総体のことであって、たとえば“どんぐり”について書かれた百科事典の一項目よりも、実際のどんぐりのアフォーダンスの方が遥かに多い(無限倍の?)情報量を含んでいる。この言葉(つまり概念)を私に教えてくださったのはレッスンに通ってくださっている高綱先生で、ひょっとしたら、私が彼女に教えを乞わなければならないのに、たまたま先に生まれてきたために先生づらをしているだけなのかも知れないことを彼女自身のアフォーダンスが私にそう告げている。
 だから“教科書で学ぶ”ことはあっても“教科書を学ぶ”意味はない。言い換えると、教師は“教科書で教える”べきであって“教科書を教え”てはならない。
 私がしばしば例に出すのが家庭科における調理実習の献立である。料理のレパートリーを増やすことは基礎学力にはならない。料理の基礎は「どこで火を止めるか」と「塩加減」の2つである。だから自身の水加減と火加減で「ご飯を炊く」「味噌汁を作る」という2つをきちんと体得すれば、その経験は他の料理すべてに応用が利く。この2つを押さえておけば、レパートリーが増えても常に一定水準の料理として仕上がることだろう。それがなければうまくいったりいかなかったりということになる。なぜなら、その原因を把握していないからである。国語も、数学も、理科全般も、歴史も、地理も、どれも同じことである。実技教科はクオリアが入り込んでくるので、必要なクオリアを持つ教師を養成することが先決である。
 年齢別一斉授業が行えるのは小学校低学年までだろう。そこから先は「進級・落第制度」ではなく、学習期間を自由にすることが必要だが、これについても別の機会に書く。
 3番目のリスクマネージメント教育というのは、犯罪に巻き込まれたり、事故に遭ったり、病気になったり、あるいは破産したりという危険を減らすための教育だが、詐欺師の手口を教えるというようなことではない。将来を考える力を育てることである。
 高度経済成長期には公務員は安月給の代名詞だった。民間の給与水準の推移に、公務員給与に関する条例が追いついていけなかったことが原因である。ところがバブル経済崩壊後には公務員を目指す人が増えた。これも公務員給与に関する条例が追いついていかないことが原因である。証券会社の社員といえば高給取りの代名詞であり、エリートたちの職場だった。ところが今では、そうとも言えなくなってきた。それどころか、かつては「結婚するならサラリーマン」という画一的な価値観の時代もあったし、女性は24歳までに結婚しないと「行き遅れる」(クリスマスケーキ説)という時代もあった。そんな時代に作られた厚生年金制度が時代に合わせて改革されることもなく続いてきたために、被扶養者である妻がパートに出ても年収を99万円以下に抑えて働くなどの馬鹿げた慣行がまかり通ったり、収めた年金の行方が分からなくなったり、ついには正しく計算された年金額であっても生活が成り立たない金額(生活保護給付以下)であったりすることになった。全てを他人任せにはできないということを歴史は指し示している。
 リスクマネージメントとは、大局的に見れば自らの将来を予測できることであり、実際には予測は外れるものなので、その都度、軌道修正できる力のことである。そのためには最終的には自分自身の揺るぎない価値観・人生観を持つことが最大のリスク・マネージメントということになるだろう。

 ここで述べた3点を学校教育の柱とすれば、学校の役割がどんどん膨張を続けている現在の状況も改善されることだろう。そもそも学校が家庭の役割を果たしてはならないし、果たせるわけがない。学校は教育の専門機関であり、家庭ではできないことを行なってこそ価値がある。また、家庭の教育機能も多少なりとも回復することだろう。

 その2へ続く


 野村茎一作曲工房
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2009年08月08日

気まぐれ雑記帳 2009-08-08 海も暮れきる


 ウラノメトリア第2巻アルファがようやく完成した。“ウラノメトリア”とは、もともとはドイツのヨハン・バイエルが1603年に刊行した世界初の全天恒星図の名称。恒星にアルファ、ベータ、ガンマという識別文字を与えたのもこの星図である。というわけで、作曲家のフェルディナント・バイエル(綴りは異なる)と、小宇宙を意味する「ミクロコスモス」(バルトーク)にあやかってピアノメソードをウラノメトリア」とした。
 アルファはメソードとしての性格が強く、ベータは練習曲集、もしガンマが作られるとしたら連弾曲集や補遺となることだろう。
 さて、今回刊行したアルファの第47番は「海も暮れきる」というタイトルである。これは俳人、尾崎放哉(1885-1926)の代表句のひとつ。このタイトルと意味について、小学校高学年から中学生くらいの子どもたちと話し合うと面白い。
 
 「海も暮れきる」と言った作者は、その時何をしていたか。もちろん、海を見ていた。
 では、その前には何をしていたか。やはり海を見ていたに違いない。ずっと暮れゆく海を見ていたのだろう。
 では、なぜ海を見ていたのか。暇だったからと答えた子どもは一人もいなかった。「夕焼けがきれいだったから」「感動したから」という答だけ。このあたりで、子どもたちから勝手に言葉が出てくる。
「こんな短い言葉なのに、いろんなことが分かっちゃうね。オザキホーサイっていう人はすごいね、せんせい」
「どうして海に来てたのかな。一人だったんだよね、きっと」
「最初、俳句だって言われても分かんなかったけど、やっぱり俳句。五七五の俳句よりすごいね。五七五なら誰だってそれらしいのが作れるけど、これは無理。無理だよ」
「海“も”だから、自分も暮れきっていたのかも。それとも空が暮れて、海も暮れきったのか・・・」
 7音6文字の中のさまざまな物語。

 その後、尾崎放哉の生涯をかいつまんで話す。「一高東大」という昔のエリートコースを歩んできた彼が社会に出てからその生活になじめず(酒癖が悪かったという)、家族も仕事も捨てて、最後は小豆島の荒れた寺の孤独な堂守として人生を終えるまで。

 優れた楽譜は音の数よりも多くを語る。単なるドレドレという音並びにさえ音楽美が隠れていて、それを読み解いた時の驚きは「海も暮れきる」と比較できる体験だろう。

 野村茎一作曲工房
 
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